【メディアアート】テクノロジーとアートは紙一重である




最近、コンピューターサイエンス系の調べ物を本格的に始めるようになりました。

コンピューターサイエンスといっても、原理や計算機そのものを研究する電気電子工学科でやるような領域ではなく、情報工学などの応用(アプリケーション)寄りです。主にヒューマンインターフェースや、コンピュータービジョンといったものについて調べ始めています。

そこで気がついたのは、現代においてコンピューターの研究というのはアートと極めて近い位置にあるということです。

コンピューターによる課題解決や手法の発明はテクノロジーやサイエンスの文脈で語られることが多いですが、実はアートとも密接に関係しているのです。

アートにおけるメディアとコンテンツ

アートと聞いて思い浮かべるのは、ピカソやゴッホといったような「絵画」であったり、バッハやベートーベンなどの「クラシック音楽」ではないでしょうか。

ここで、アートにおけるメディアとコンテンツについて考えてみると、メディアとコンテンツは互いに相補的な関係にあるものの、これまではコンテンツがより重視されてきました。

例えば、絵画でいうと絵具や筆やキャンバスが技術によってより多様になってきたということは事実でしょう。しかし、これらのメディア自体の変化というのはコンテンツに比べると小さなもので、より重要なのは「何を書くか、何を表現するか」というコンテンツそのものでした。

一方で、世界が多様化したことで世の中には非常に多様な考え方や価値観が溢れました。別の言い方をすると、非常に多くの文脈が存在するようになりました。つまり、コンテンツの斬新さによって勝負をしたり、社会的ムーブメントをつくりだすことが難しくなったのです。

一方で、20世紀なかばに登場したコンピューターは、メディアそのものを大きく変化させてきました。特に最近のトレンドでいえば、画像処理とディープラーニングを応用したコンピュータービジョンをライブ演出に利用するなど、表現をするためのメディアが大きな変化をしはじめています。

コンピューター技術の開発はアートに漸近している

コンピューターが出来ることを拡張していく、特に人の言葉を読み取ったり、人の動きを認識するようなインタラクティブな仕組みを利用する場合は、コンピュータと人間の間にインタラクションが生まれます。

コンピューターとのインタラクションのあり方が変わったときに、人はどのように美意識をアップデートしていくのだろうか?現存する世界には存在しない世界をコンピュータで創造できるようになったときに、我々は何を美しいと思うのだろうか?という問いが、アートに接続されていきます。

新しい技術の開発というのは、これまで人ができなかったことを出来るようにする機能の創造だけではなく、人がどう感じるかという美意識の変化も起こしえます。

例えば、ライブ演出でよく使われるレーザーを美しいと思う人は多いでしょうし、都会の光り輝く夜景を東京タワーなどの高い建物から見下ろしてきれいと思う人は多いでしょう。

しかし、レーザーや蛍光灯といった装置は人類史の中でもごく最近になって発明されたものであり、モノ自体が存在しなかった時点での人類は、このような光を美しいと感じることはなかったでしょう。

コンピューターによる映像表現や音響・運動の制御というのは、それ自体がメディアでありながら人の五感に影響を与えます。これまで平面ディスプレイのテレビで見ていたスポーツ中継が、立体ディスプレイに変化したら、当然感覚は変わるでしょう。

コンピューターとヒューマン、その2つのインタラクションを社会課題の解決に利用すればテクノロジーですし、表現や感覚の拡張という方向で利用すればアートになります。

コンピューターは課題解決の道具であるだけではなく、われわれの身体性をアップデートしうる可能性が詰まった箱だと日々感じながら生きています。