【コラム】Withコロナ時代におけるNew Normalとの向き合い方




連日世間を賑わせている新型コロナウイルスCovid-19ですが、無料で視聴することが出来るテレビ番組やウェブメディアでは、政府の対応がどうとか、給付金がどうとか、短期的な目線の断片的な内容が目立ちます。

そこでWeeklyOchiaiという有料番組を見ることにしたのですが、やはり有料コンテンツだけあって質が非常に高く、毎回1時間〜1時間半ほどの時間を使い、専門家が濃密に議論をしています。

その中でNew Normalという概念が出てきたのですが、この概念が非常に僕に刺さったので考えをまとめてみたいと思います。

目次

New Normalとはなにか

もともとNew Normalという言葉は、リーマンショック後に起きた変化に対して、非日常が新しい常態になるという文脈で使われた概念です。

新しい日常(New Normal)という言葉に何を込めたのか?|宮田裕章|note

今現在、世界はパンデミックによって非日常の生活を強いられています。欧州ではロックダウン(都市封鎖)によって日常の買い物さえ制限を受ける状況になり、日本においても在宅勤務が急速に普及しています。

この「非日常」に放り込まれたとき、僕らは変化に対してストレスを感じるので、以前の状態「Normal」にどうすれば戻るかということを自然と考えてしまいがちです。

しかし、リーマンショックや東日本大震災と比較すると、新型コロナウイルスは世界規模で蔓延し、人々の生活様式を強制的に変えました。そして一過性のものでなく長期的に続くであろう点など明らかに異なる性質を持っています。

新型コロナウイルスによるパンデミックは、社会が恒常性を持つための閾値を飛び越えた不可逆的な変化をもたらしていくでしょう。パンデミックがワクチン開発などの要因で収束したとしても、これまでのNormalな社会とは異なるNew Normalな社会になっているだろうということです。

「今の非日常を乗り越えれば、これまでの日常が戻ってくる」というのは間違いで、「今の非日常が日常になっていく」ということです。この新しい日常のことをNew Normalと言います。残念ながら僕らは、Normalだった時代には戻れず、別の世界を生きていかなければいけないのです。

各国に見るNow Normalの兆候

例えばEUではNormalな時期においてもBI(ベーシックインカム)の議論がなされており、実際に社会実験が行われてきました。そのBIがこのパンデミック下で急激に可能性を持ち始めています。

ベーシックインカムを導入するのはもちろん簡単ではなく、各国が検討をはじめているという段階です。ただ、この新型コロナウイルスによって社会が大きく変わる可能性が高いというのが事実であり、生活保障のための給付金や支援がベーシックインカムのように機能していく可能性もあると思います。

ドイツ

ドイツでは、新型コロナウイルスへの経済対策として7500億ユーロ規模の追加経済対策を決定しました。ちなみに、ドイツの歳出が1556億ユーロ(2019年)なので、比率でいうと1年の国家予算の4倍以上になります。

つまり、これは国が本気で全国民の生活を下支えしていくということを意味しており、そのままベーシックインカムの導入へとつながっていく可能性もあるのではないでしょうか。

ドイツ政府、1兆円超の追加対策 雇用対策など拡充 [日本経済新聞]

イギリス

イギリスはまだ検討をしている段階ですが、もしかしたらベーシックインカムの一時的な実施をするかもしれません。選択肢にあるのはあくまで「一時的なもの」としていますが、これがキッカケに将来的にはベーシックインカム導入につながっていくかもしれません。

英首相、ベーシックインカム検討 コロナ対策で一時的に[日本経済新聞]

日本

一方日本では、ベーシックインカムという形ではないにせよ「特別定額給付金」という名前で全国民に一律10万円の支給を行うことが決定されています。

これは一時的なものとなるかもしれませんが、もし今後ベーシックインカムのように毎月10万円を支給ということになれば、ベーシックインカムと実質同じことになります。

ただ、毎月ということであれば年間のトータル金額が大きくなりますから、高所得者の分は確定申告で回収する、ということが行われるかもしれません。

特別定額給付金ポータルサイト[総務省]

Normalに固執してはいけない

このパンデミックにおいて、大変な思いをされている医療関係者やスーパーの店員さんなどには感謝しかありません。一方で、このパンデミックという非日常に対して悲観するだけではなく、ポジティブになるよううまく利用することを考えていかなければいけないと思います。

例えば、日本においては在宅勤務が急速に進んだり、都市の過密化によるデメリットが明らかになったり、大学の授業がオンラインになるなど変化が起きています。

ここで最も重要なのは、Normalに固執しないということではないでしょうか。Normalに固執するというのは、こういう問いを持つことです。

Normalに固執した問い

「どうすれば以前のように出社をして顔を合わせながら働けるだろうか?」

「どうすれば以前のように講義を出来るだろうか?」

「オンラインでこれまでと同じように講義をするにはどうすればいいだろうか?」

この問いに対しては答えがあるかもしれません。例えば、三密にならないようにオフィス/講義室をいじるとか、ソーシャルディスタンスを保つルールを設けるというものです。

しかし、これは恐らく問い自体が間違っています。何故ならば、この問いには「これまでのやり方がベストであり、そこに回帰しなければいけない」という考えが暗黙に含まれているからです。

僕らが立てるべき問いは、本質を疑うような以下のものではないでしょうか。

New Normalに向けた問い

「これまでの働き方は本当に正しかったのだろうか?」

「講義のあり方は本当に良かったのだろうか?」

「オンラインで届けられる価値はどのようなものだろうか?」

在宅勤務や遠隔授業が推進された中で、環境によってさまざまなメリット・デメリットが出てきたと思います。通勤/通学時間が減り、睡眠時間を確保出来るようになったポジティブ面もあれば、設備による格差や非言語コミュニケーションが取りにくくなるネガティブ面もあるでしょう。

逆に言えば、これからの働き方をどうすれば良いのか?ということについて、デジタルに移行したという具体的な経験を持って考えることが出来るチャンスでもあります。

恐らく僕らはNormalな日常に戻ることはできません。それは、一度在宅勤務の快適さを知ってしまったからであり、意外と遠隔授業でも回ることを知ってしまったからでもあります。そしてマクロな話をすれば、アメリカで大量の失業者が出るなど世界規模の不可逆な経済変化が進んでいるからなのです。

「失業者をどのように復帰させていくか」という問いもNormalへの固執

パンデミックの影響で失業者が大量に出てしまったときに、Normalに固執してしまうと「失業者をどのように復帰させていくか」という問いを立てがちです。

この前提には「国民は一人ひとり働いて各々収入を得て生活していかなければいけない」とい暗黙の前提があるからです。これはNormalな世界の前提であるだけかもしれません。

もちろん、現時点ではGDPも重要ですし、ベーシックインカムをすぐに導入するということはできないでしょう。一方で、短期的な目線だけではなく、長期的にどのようなNew Normalにしていくのかというヴィジョンも重要だと思うのです。

失業者が大量に出たときに「どうやって失業者を減らすか」ではなく「失業者が増えたとき、どうすればが社会が成り立つのか」という問いを行うことが重要ではないでしょうか。誰もが働いて収入を得て生活を送る、というこれまでの常識を前提に考えるべきではありません。働く状態が正常で失業している状態が異常であるという考え方ではいけないのです。

これまでの近代的な社会では、平均というものを定義してそれを「標準」としてきました。特に日本ではその考えが強いことは、実感している人が多いと思います。それがこれまでのNormalな社会であったと思います。

一方で、これほど多様化した現在においては「標準」を設定すること自体が間違っているのかもしれません。標準を設定して、標準から外れたイレギュラーは、様々な手段を通して標準に戻すということをやってきたわけですが、標準そのものが変わりつつあるのが今であると感じています。

例えばNormalにおける標準は「出社して顔を合わせながら仕事をする」ということや「都市に住むほうが快適」ということがあるでしょう。これらの「標準」そのものが揺らいでいる中で、過去にしがみつくのは非常に危険であると考えています。

例えば、Normalな世界では100人の中に言葉が話せない人が1人いたとき、その1人を「異常」とみなし「標準」になれるように教育をしたりします。

では、逆に100人中99人が言葉を話せないとしたらどうでしょうか。この場合、その99人が異常なのでしょうか?数の論理で言えば、言葉が話せる1人のほうがが異常であるということも出来るでしょう。何が標準であるかは、数の論理や文化的背景などで簡単に変わりうるものです。

この大きな変化をもたらしているパンデミックは、標準を定めて統一化するという近代からのパラダイムを脱却していくキッカケになるかもしれません。これまでは標準を定めないと、人間の処理能力では限界が起きてしまったり、効率が悪くなってしまいました。

例えば、同じ日本国内なのに地方ごとに使う言葉が全く違えばコミュニケーションに通訳が必要でコストがかかってしまいます。

ただ、これらの問題はテクノロジーによって解決できる可能性も十分にあると考えています。結局のところ、パンデミックによって作られるNew Normalへの問いを持った上で、その理想となるNew Normalにテクノロジーをどうあてがっていくか、その視点が一番重要だと日々感じています。