【コラム】勉強はできても仕事ができない人の特徴




あの人は高学歴で勉強はできるのに仕事ができない…そんな話を耳にすることって多いですよね。頭が良いのであれば、仕事もできそうですが、なぜそのようなことが起きるのでしょうか?そのことについて、記事でまとめてみました。

結論を最初に言えば、勉強はできても仕事ができない人は「研究力」が不足していることが多いです。

仕事では勉強力と研究力の両方が問われる

僕の経験と考えから言ってしまうと、仕事では「勉強力」も重要ですが「研究力」も必要になります。勉強はできるのに仕事ができないという人は、研究力が不足している場合が多いです。

ここで僕が言いたいのは、勉強は仕事の役に立たないということではありません。勉強力だけでは仕事でパフォーマンスを発揮できないので、そのように主張する人が多いのだと思いますが、僕は間違いだと考えており、勉強も非常に重要なものであると位置づけています。

では、勉強力と研究力とはなにかについて深堀りしたいと思います。

勉強力とは「先人の知恵」を習得する力

勉強力とは「先人の知恵」を習得する力のことを指します。例えば、新卒で入社してマーケティングの部署に所属したとしましょう。そこでは、マーケティングの理論(ターゲティング・セグメンテーション・3C分析…etc)といった既存の理論をまずは学ぶことになるでしょう。

先人の知恵というのは、ずば抜けて頭がいい人たちが長い年月をかけて蓄積してきた高密度な知の結晶です。何をするにしても、まずはこれを吸収しなければなりません。自分でゼロから既存の知を再構築するには時間が圧倒的に足りないからです。

圧倒的な天才たちが数百年以上の年月をかけて積み重ねてきた知を、凡人の我々が数十年の人生で再構築することは不可能でしょう。実は勉強というのは、この視点で見ると生産性が非常に高い行為なのです。

仕事で高いパフォーマンスを発揮している人は、やはり勉強量がすごいです。ビル・ゲイツもかなりの読書家であることは知られています。僕はITエンジニアという専門職なので、特にコンピューターアーキテクチャやアルゴリズムなど知識量・理解量が、そのまま仕事のアウトプットに直結します。

ITエンジニアのように何か作る職種でなくとも、営業であればプレゼンの方法論やコミュニケーションのコツといった心理学的な素養を知っているかどうかで大きな差が生まれてくるでしょう。現場での訓練も重要ですが、オフサイトでの学習も同じく大事です。

たしかに、大学で勉強したことを仕事でそのまま活かせる機会は多くないかも知れません。しかし勉強をすることで、一つの領域を学習して理解するための方法論が身につきます。効率的な学習をするための学習、と言い換えることが出来るかもしれません。

例えば、学問体系を論理的に追って現象の構造を理解する力は、一つの領域について粘り強く勉強することで増強されます。確かに「勉強は苦手だったけど起業したり就職して成功した人」もいますが、そのような人たちは圧倒的な行動量を通じて学習を繰り返しているので、机の前での勉強という形ではないですが、やはり毎日勉強しているのです。

一流のスポーツ選手であれば、身体に関することを理論的に理解していますし、音楽家であれば、音楽理論をしっかり理解した上でそれぞれのオリジナリティーを出しています。(ロック系のミュージシャンは恥ずかしがって理論なんて知らない、ということもありますが)

勉強ができるけど仕事ができない人の存在を、自分が勉強しない言い訳に使ってはいけません。勉強力と仕事力に相関がないわけではなく、仕事に必要な他のことが足りていないということなのです。それが研究力です。

研究力とは「新しい知」を生み出す力

勉強を「教科書を理解すること」と捉えるならば、研究は「教科書をつくること」であり、新しい知を生み出す力のことです。

例えば、クライアントであるA社の担当者にどのような組み立て方でプレゼンをすれば提案を受け入れてくれるか?これはググっても答えが出てこない問いですし、そもそも世界で誰も知らないことである場合がほとんどです。

もし自分が営業担当であるとして、まずやることは何でしょうか?

これまでの会話や周辺の情報から仮説を立てて、実証しますよね。例えば「A社の担当者は、結論から言わないと退屈そうな顔をしてこちらの話に耳を傾けてくれないので、プレゼンでは先に結論を言おう」といったことです。

プレゼンはうまくいくかもしれませんし、うまくいかないかもしれません。しかし、この繰り返しによって徐々に自分なりの理論が形成されていきます。

これは、まさに研究と同じプロセスではないでしょうか。このように「価値ある仮説を立てる→実証する」という流れで新しい知を生み出すことが仕事では求められます。そして、その新しい知を組織で共有することによってその人の評価は高まっていくのです。

勉強だけできる人は、すでに組織に存在する知を吸収して実行することが得意なので、定型業務ではかなり活躍するのではないかと思います。

一方で、現代の社会では価値ある仕事というのは課題を発見し、ソリューションの仮説を立てる力(=研究力)に偏ってきています。特にものが売れない時代ですので、現場にある価値ある課題を設定して新しい知を生み出していくことが肝要です。

高度経済成長時代では使える人材と使えない人材を区別する上で重要だったファクターが「勉強力」だったとするならば、現代では「研究力」になっているのです。

これは、インターネットを通して大量の情報にアクセスできるようになったことで、情報の囲い込みが出来なくなったからです。人類の知はインターネット上で共有できるようになり相対的に一般化・言語化できる情報の価値が暴落したので、現場でしか知ることが出来ない「新しい知」が大きな価値を持つようになりました。

研究力は勉強力がベースになっているので勉強も大事

研究力というのは「実証することが価値のある仮説を立てる→実証する」の繰り返しで磨かれていきますが、そのベースとなるのは勉強力です。

ITエンジニアの世界では車輪の再発明という言葉があり、これは誰かが作った同じようなツールをもう一度つくることは時間の無駄であるということを指しています。(ただし、学習のために再発明をすることはあります。ソートアルゴリズムの理解とか)

研究の世界でも全く同じです。例えば「力Fは、質量mと加速度aの掛け合わせになるのではないか?」という仮説を僕が今立てて、実験で実証したとしても価値は全くありません。なぜならば、すでにニュートンによって運動方程式が確立されたからです。

では、車輪の再発明をしないためにはどうすればいいのか?それは「現時点で人類の知がどこまで到達しているのか」を知ることが重要になります。

現時点における人類の知の領域をある程度知ることができれば、逆に人類の知が到達していない領域との境界が何となく見えてきます。つまり「勉強」することで「勉強」できない未知の領域との縁まで進むことが出来ます。

そのため、勉強は決して不要ではなく、むしろ研究をするにしても仕事をするにしても重要なものになってきます。勉強はできるが仕事はできない、という人は「仮説を立ててそれを実証する」ことを一人で繰り返し体験することによって研究力を高め、高いパフォーマンスを発揮できる可能性があるのです。

課題解決の質ではなく、課題設定の質を高めよ

最後になりますが、現代で仕事をする上でより重要なのは、課題解決の質を高めることよりも、課題設定の質を高めるということではないかと思います。

課題解決の質を高めるというのは、たくさんの手法を勉強して適切な方法で課題を解いていくことを指します。

課題設定の質を高めるというのは、その課題を解くことが本当に価値あることなのかを見極めて、解決する価値がある課題に変換していくことです。

ただし、繰り返しになりますが課題設定の質を高めるには、勉強も欠かせません。その課題を解くことで生まれる価値を判断するためには、社会情勢や文化的側面から見た判断が必要になるからです。今を生きている人が、どのような価値観でどのような判断基準をするのかといった深い理解が必要になるのです。

現在の大学制度では、学部4年間のうち研究のようなことをするのは1年ほどの短い期間であることが多いように思います。そのため、研究力が身につかないまま社会にリリースされて、タイトルのようなことが言われ始めているのだと思います。

文系は院に進むと不利…そのような慣習が未だに根強く、年齢で判断される社会ではありますが、文系でも理系でも院に進むことが普通になる、そのような社会になるとまた変わるのではないかなと思います。

学費が安くなったり、年齢で採用を判断する風潮がなくなれば良いんですけどね。