【コラム】20代でもお金は重要だと思うようになった話




30代以上になると、子供が出来たりしてお金が必要になる。だから20代は目先のお金に飛びかからず、自分に投資してスキルや経験にお金を使え。僕はそのように考えていますが、やはり20代であってもお金ってとても重要だなと思うようになりました。

「大事なのはお金じゃない!」に惑わされるな

特に日本は昭和のマスメディアの影響で、あまりに拝金主義に偏りすぎていると思う。

そして、多くの人がお金のために生きる虚しさに気が付き始めているのは良い兆候だ。僕も拝金主義は誰も幸せにしないと思うし、早くなくなればいいのにとさえ思っている。

ただし、お金は幸せになるための必要条件であって十分条件ではない。つまり、お金があるからといって幸せになれるわけでは決してないけれど、お金がある程度は無いと幸せにはなれない。

結局、いまの世界はお金をはじめとした資本の交換によって成り立っているので、お金が無いと住む場所も得られないし、食べることも出来ない。

確かにお金を目的とした人生はクソだけれども、人生を豊かにするためにはやっぱりお金は必要なのだと思っている。

お金の重要さを体感した経験

お金は重要だなと思った経験がいくつかあるけど、一番はバックパッカーとして旅をしていたときだと思う。

まず言えるのは、大抵の国においてはパスポートが盗まれても荷物が盗まれても「お金さえあればなんとかなる」ということ。安全というのは、等級の高い列車に乗ったりハイヤーを手配するなど、ある程度お金で買うことができる。

そして、もしパスポートを無くしたとしても、お金があればタクシーを使って日本大使館に行って助けを求めることができるし、電話をかけたりその日に泊まる宿や、食事を摂ることだってできる。

もし手元にパスポートだけという状況だったらどうだろうか。身元の証明はできるが、宿に泊まることは出来ないし、食事をすることもできない。

世界には優しい人がたくさんいるので、助けてくれることがあるかもしれないが、お金が無いとやれることが非常に限られてしまうのだ。だからこそ、旅をしているときはクレジットカードや財布を分散していろいろなところに隠していく。

お金を価値あるものとみなして、食料やサービスと交換するというのは世界中で行われていることだ。逆に言えば、お金さえあれば大抵のことはできるし、少なくとも命の危機になるということは稀なこと。

最低限のお金を持っているということは、少なくとも生命の危機を感じなくても大丈夫という安心感があるということにほかならない。

さまざまな体験をするにはお金が必要であり、それが格差を生む

そして、世界が資本主義の波に浸っている以上、なにかを体験するにはお金が必要である。

  • 本を買う
  • 美術館に行く
  • スポーツをする
  • さまざまな味覚を体感する
  • カメラや楽器など表現のツールを買う

これらは、すべてお金が必要だ。こういった文化資本の格差は、経済的格差に直結する。お金持ちは本をたくさん読み、美術館で感性を育むことで、付加価値が高く、高単価な仕事をこなすようになる。

逆に、お金がないことで十分な教育を受けたり文化資本を蓄積できないと、付加価値が低く、低単価な仕事をこなさざるを得ない。それが世代を超えて伝わってしまうのは、相対的貧困や格差問題でもよく言われていることだ。

知性を育み、そして健全な肉体を保つためには、やはりお金は重要だと思う。一説によると、欲しい物があったときに、買うか買わないかを考えることも結構なストレスになるらしい。

拝金主義とお金

勘違いしないように自分でも気をつけているのが、お金は重要だがそれ自体は目的になりえないということだ。

豪華な生活をしたいとか、お金持ちになりたいという欲望は、例えいくらお金を稼いだとしても充実感が満ちることは無いと思う。(お金持ちじゃないのでわからないけど)

充足感のある良い人生を送るという意味で重要なのは、手段としてのお金をある程度キープしつつ、あらゆる体験をして自分自身を高めていくことにあると思う。

自分自身を高めるとは、さまざまなモノを自分の体を通して知り、本を通して知り、外界にある何気ないモノに対しての感受性を高めていくことだと思う。

「お金を稼ぐのは汚い」と建前では言いながらも、実はお金が大好きで拝金主義な風潮には本当に嫌気がさすが、お金が重要な役割を担うことも確かであると思う。

野球選手のイチローは、プロを引退してからも草野球を行ったり、野球指導のライセンスを更新したりしている。

もう生きていくには十分すぎるほどの大金を持っているはずであるのに、自分の好きなことややるべきことにまっすぐ向き合い、それを淡々とこなしていく。そんな彼の姿には本当に憧れるし、自分もそうなりたいと思っている。