まずは, タイトルの答えから言ってしまうと, 心が苦しくてつらいときの対処方法のひとつとして, 「人に親切をする」ということがあります.
僕もすでに27歳という年齢ですから, それなりに楽しいこと, 悲しいこと, 苦しいこと, ドキドキすること, ワクワクすることなど経験してきました.
この中で厄介なのは, 悲しいことや苦しいことですね. これらは心を苦しくします. しかしながら, 悲しいことや苦しいことがない人生は無いでしょうから, 大事なのはそれと出会ったときにどうするか, ということでしょう.
中学生・高校生時代のエピソード
中学生のときは校風が合わなかったり, 共学への憧れなどがあり, 毎日楽しいという訳ではなく, 一日一日を耐え忍ぶように過ごしていました.
まだマスメディア全盛期でしたから, のびのびとした学校の校舎や敷地で部活をしつつ, 恋愛をしつつ, 友達と買い食いをして帰る…そんなことに強く憧れを抱いていた時期でもありました.
高校では, そういった経験もわずかながら出来たわけですが,中学校ではほぼ皆無でした. 校舎や校庭は狭く, コンクリートに覆われていて人工的な感じが嫌いでした. 男子しか居ないし, 校則も厳しい. 中高一貫校でしたが, 公立高校を受験することに決めたのです.
高校生のときは, 今振り返ればたくさんの思い出があり, 素晴らしい日々でしたが, やはり苦しみもかなりありました.
さすがに思春期になると, 自分らしさといいますか, 自分の個性というものが表出しはじまる時期ですが, どうも僕は周りに馴染むということが苦手な部類の人間だということに気が付きました.
周りの同級生や, 部活の友達と仲良くなりたいけど, 仲良くなりたくない. そんな複雑な心理状態が続いたことで, 常に孤独を感じていました.
僕は軽音楽部と生徒会に入っていましたが, それを聞くとなぜ孤独を感じるのかと疑問に思うことでしょう. 先に言っておきたいのは, 組織や集団に所属するだけで孤独から解放される, というわけではないということです。
なにかの組織に所属していたとしても, 本当に大切なのはその組織の中における関係性です. 僕は, 人と打ち解けることが極度に苦手であり, 人といると疲れてしまうので, 組織の中でどのように振る舞えばいいのか分かりませんでした.
人が怖くて話しかけられないので, どうしても距離を感じてしまう. だんだん疎遠になっていくので, さらに話しかけにくくなり, 仲良しにしているグループを嫉妬してしまうという負のループに陥ることが良く起きていました.
今では, さまざまな経験を積んだこともあって, 人と話すときに自然体でいることができるようになりました. それでも人と話すときは非常に緊張します. 人との接し方や人の気持ちはいまだによくわからないです.
生徒会のメンバーに関しては, 幸いなことに気が合う仲間と出会えたおかげで, 楽しい思い出がたくさん出来たし, 幸せを感じていました. しかし, いつも一緒にいれる訳ではありませんでしたから, ふとした瞬間に寂しさを感じることはよく起きていました.
人と仲良くしたい, 寂しい気持ちをなくしたい, そう思いつつも, 人との接し方や距離の縮め方, あるいは自分の望みがよく分からないこともあり, 常に葛藤に苦しむような学生生活でした.
もし部活動にも生徒会にも入らなかったら, 孤独に負けて病んでいたのかもしれません. こんなことを書いている人間が, 軽音楽部で曲をつくってバンド活動したり, 後夜祭のステージで演奏したり, 生徒会で活動していたなんて書くとビックリするかもしれませんが, ここに書いたことはすべて事実です.
やってきたことだけを見たら, 人並みに青春をしているように見えるかもしれません. ただ, 自分への葛藤や人との関係性に常に悩んでいた高校時代でした. 手放しに楽しかったと言えるような状況ではありません. みんなといるのにみんなと居ない, そんな孤独感がつきまとっていたのです.
心が苦しいときは, 自分の内面にベクトルが向きがち
その後, 大学に進み, 卒業した後は2年間フリーターをしながらバックパッカーをして, その後新卒で入社. その間にも色々な事がありましたが, 歳を重ねるごとにようやく自分を客観視しはじめることができるようになってきました.
「寂しさ」以外にも苦しいことはあることでしょう. 僕自身が経験したことも, 他の人が経験しているのも見てきました. 大切な人を失ってしまったとか, 恋人と別れたとか, 就職がうまくいかなかったとか.
生きることはつらいことですから, 色々あると思います.そういった状況を抜けるときに有効だったのか, 僕にとっては「人に親切をする」ということでした.
つらい気持ちになったときは, とにかく意識が自分自身に向きがちです. 嫌なことを何度も思い出してしまって, さらに気分が落ち込んでしまう負のスパイラルになりがちなのです.
そういったときは, 心のベクトルを他人に向けてみることが, 負のスパイラルを抜け出すキッカケになります. 人に親切にして「ありがとう」と言われる, それだけで人は自分の存在価値を実感することができるからです.
本当につらいときは, 人に親切にする余裕など無いかもしれません. それでも, この世界には人間より上位の存在である「時間」というものが存在します.
時間に抗えないということは, 幸せなことだといつも思います. 時間が強制的に僕らのつらい記憶を薄めてくれるからです. 人に親切にするのは, 時間が経っていくらか余裕が出来てからでもいいでしょう.
結局のところ, 日常生活における人間の精神的苦痛というのは, 喪失感であったり, 孤独感であったり, 無力感が大部分を占めているように見えます.
これらは, すべて「人のために何かをする」という行為で, だいぶ軽減できるものです.
人間というのは, すべてのつながりの中で生きていますから, そのつながりが切れるとつらいです. だからこそ, 自分自身に向いたベクトルを外に向けることが, 結局のところ心がつらいときの一番の処方箋になると思うのです.
人のためになにかをすることは, 自然や世界という超越的な存在に属していることを実感し, また自分の存在価値を実感する機会となりうるからです.