【コラム】短期的な失敗が長期的には成功に化けた話




昨今のベンチャーブームの後押しもあって(世の中の潮流的なところもあるが)、「失敗は成功の母」とかよく耳にしますよね。

僕もさまざまなニュース記事や本の中で失敗を称賛するような表現に出会って来ましたが、実感として受け入れることが出来ませんでした。

しかし、この前ふと寝る前にこのことについて考えていたら、そういえば自分にも当てはまることがあることを思い出したのです。

目次

中学受験の失敗と校風のミスマッチによるストレス

中学受験の失敗

僕はもともと小学生のときから勉強が好きな子供だったので、親に頼んで中学受験の塾に通わせてもらいました。実は当時、中学受験の塾とは知らず、「学校よりも高いレベルの勉強ができる塾」としか思っていませんでした。

後々になって、中学受験用の塾と知り、折角だし中学受験するかと思い受験したのです。当時の第一志望は偏差値55〜58ほどの中堅上位校。

そもそも中学受験をする塾だと知らなかったくらいですから、どうしても入りたいというモチベーションはありませんでした。

当然、そのような状態で勉強してもなかなか成績は伸びず、第一志望には落ちて偏差値45くらいの滑り止めと言われる中学に入ることになりました。

このとき小学6年生でしたが、人生ではじめて失敗とはこういうことかと実感した瞬間でした。自分で言うのも恥ずかしいですが、僕はスポーツも人並みに出来たし勉強が好きだったので、他人に負けたり失敗すると感じる経験がほとんど無かったのです。

「ああ、他の人と戦うには準備しないと負けるんだな」ということを痛感した中学受験でした。

中学校の校風とのミスマッチによるストレス

そんなわけで、一応私立の中学校(中高一貫校)に進学したわけですが、ここでは校風とのミスマッチが起きていました。

  • 校則が厳しく連帯責任が存在する
  • 学校が狭い(敷地的な意味で)
  • 男子校である

まず1つ目ですが、お寺に併設された仏教系の学校ということもあり、校則が厳しかったです。

黒髪にしないといけないとか、髪は短くしないといけないとか、帰宅中に買い物をしてはいけないとか、先生とすれ違ったら大きな声で挨拶をしなければいけないとか、ルールでガチガチだったのです。

決してそれらのルールを破りたかったわけではありません。僕は勉強好きでしたし、根が真面目なのでそれらのルールが無かったとしても自分で自然と守っていたと思います。

一番ストレスになったのは、生徒の判断を信じずにルールでガチガチに自由を固めてくるという校風と、一部の生徒のせいで真面目にやっている生徒が連帯責任を負うという軍隊的なシステムでした。

27歳になったいまでもそうですが、出来ない人が出来る人の足を引っ張る日本の悪しき習慣は滅べばいいと常日頃思っています。

そして2つ目ですが、学校が非常に狭いということも僕にとっては問題でした。これを言うと「え?そこ?」と言われることもあるのですが、学校の広さは僕にとっては重要なんです。

1つ目を読んで頂くと分かるように、僕は自分が自由に伸び伸びと出来る学校生活を送りたかったのです。校則が厳しいだけではなく、物理的に狭い学校の中に閉じ込められていることが、非常に精神的な窮屈さにつながっていたのです。

そして3つ目ですが、自分は男子校に合わないということも分かってきました。中学生といえば思春期ですから、もっと女の子と遊びたかったということもありますが、男子校はダイバーシティが低くなりがちなんですよね。

もちろん、ひとりひとり個性的なところはありましたが、外の社会と比較して男しか居ない空間って異常じゃないですか。小学校は普通の公立だったので、そのギャップがどうにも埋まらず、共学校に行きたいなという思いと日々戦っていたのです。

そして高校受験を決意、自由な校風で知られる公立高校へ

そんなこんなで、ストレスをためていた僕は高校受験をすることに決めたのです。自分の性格が分かってきたので、条件は以下で絞りました。

  • 校則がなるべくゆるく、個人の裁量で行動が出来る
  • 校舎が広い
  • 共学である

そのような条件でぴったりと当てはまった高校が見つかりました。偏差値で言うと60を超える神奈川県内の公立トップ校のひとつでした。僕はこの学校に絶対行きたいと思い、塾に通いながら勉強をしていました。

中高一貫教育を受けていましたから、数学と英語は他の高校受験生より1年進んでおり、その点がとても助かりました。受験を決めたのが中3の秋ですから、時期的には結構ギリギリだったんですよね。

中学受験のときとは違い、今回は「自分にあった学校へ進学して、勉強も部活もがんばって、共学で青春を謳歌したい」という明確なモチベーションがありました。

そのため、成績がぐんぐん伸びて無事に合格することができました。

高校は自分にとって最高の環境だった

中学校で自分が合わないものが分かりましたから、高校はやはり自分にとって最高の環境でした。

校則が無かったのですが、入学時に求められる学力がそれなりに高いですから、生徒はみな自分たちでルールを決めて、自立して動くような環境だったのです。

ただ自由の名のもとにひとりひとりが好き勝手している環境であれば、すぐに校則が設定されてガチガチになることでしょう。生徒が自由でいるためには、生徒自身の判断力や倫理観が一定水準以上ないとダメなのです。

高校では勉強もしつつ、音楽もしつつ、基本的には楽しく過ごしていました。(もちろん、つらいこともたくさんありましたが)

ストレスがあまりない環境だったので、勉強も自分のペースで行うことが出来て、無事に国立大学に進学することが出来ました。その後についても、今のところはとても満足した人生を歩めています。

もし中学校の校風がマッチしていたら?

いまこうして振り返ってみると、中学校で校風が合わないストレスというものが、勉強に対する強いモチベーションになっているといたということが重要だったように思います。

もし中学校が自分にとっていい環境であれば、そのまま中高一貫のエスカレーターに乗って高校に進学していたでしょう。しかし、果たしてそこで勉強に対する強いモチベーションの源泉と出会えたかどうかはわかりません。

短期的に中学受験・中学生活だけを見ると「失敗した」と言えると思います。一方で、この失敗があったからこそ「受験はちゃんと準備をしないと負ける」「自分は自由な環境でこそモチベーションが高まる」ということを知ることができました。

結局のところ、何が失敗で何が成功であるかは、死ぬまで分からないということではないでしょうか。一見成功に見えたとしても、そこには後々問題となる種が潜んでいるかも知れませんし、失敗に見えたとしてもそこには成功の種が潜んでいるものです。

自分には何が向いていて、何が向いていないのか。それを早めに見つけられるような機会があるかで、その後の人生は大きく変わるのだなあと実感したのです。