工業化の象徴「錆」と「曇天」が生み出すノスタルジー空間(前半)

プラットフォームの錆




この記事を書いているのは2019年4月30日。まさに平成から令和へ接続されようとしている瞬間だ。僕にとって、新しい時代を迎えるときに振り返っておきたかったのは、18世紀半ばの産業革命による工業化の足跡だった。

身近に使用しているスマートフォン・パソコン・冷蔵庫・洗濯機・ガス・電気といったプロダクトは、もはやお金さえあれば簡単に手に入る時代であり、それ故に生産プロセスや環境負荷に対する意識を及ぼす機会が少ない。

「どこかで作られて、運ばれて、届く」

という表層的な面しか意識することが無いというのは、これからの時代を作っていく上で問題であると思ったのだ。ある事象が周りとどのように関連しているのか、現場に足を運ぶことでその解像度を上げないと部分最適化は出来ても全体最適化とは遠いところに行ってしまう。

まずはその第一歩として、「工業」を体で感じるということをしてみようと思った。そこで今回訪れたのが、神奈川県の横浜・川崎エリアを走る鶴見線というローカルエリアだ。

駅への入り口

JR鶴見線の国道駅は鶴見駅から1駅の位置にありながら、レトロな雰囲気を残す駅として知られる。それもそのはず、1930年(昭和5年)に開業してから、たったの1度も改築されていないのだ。

壁の落書き、看板、錆びた橋桁、張り紙、全てが時間性を帯びている。一本一本のパイプや鉄骨には無数の傷や汚れがあり、昭和、平成、2つの時代を生き抜いてきたという誇りを感じさせる。

この駅の周りは、あまりに普通の住宅街であるのがまた異質だった。この駅が先に存在していたはずなのに、まるでただの住宅街に突然飛び込んできたからのような異質さを放っている空間もそこまで多くは無いと思う。

休日ということもあって人はまだらであったが、地元の人は当たり前のように構内に入っていた様子を見ると、この街における古さと新しさの親和性を垣間見ることが出来る。

駅構内

古きと新しき。Suica用改札機、自動券売機、自動販売機といった新しい工業製品と、昭和初期から変わらない古びた構内の異質な組み合わせが目を引いた。この空間に入ると、古いものの上に新しいものが乗っかってアップデートされていくという感覚が狂わされた気がした。

Suicaや自動販売機という新しい技術プラットフォームが前提として存在し、その上で古い構内が駅の雰囲気に「味付け」をしているように思えたからだ。

プラットフォーム化された技術はいたるところで実装され、古さとの共存を強制させる。

駅のプラットフォームから

「標準化の波」は駅名表示の看板にも垣間見ることが出来た。英語・韓国語・中国語の表記がある看板は、駅の中で異質に見えた。これはあまりにも新しく、「人に見られる」という看板の役割を全うしているようにも思えた。

あるメディアを強く印象づけるには、古いものと新しいものの対立構造を取り入れるというのも手であると思った。例えば、ブラウン管テレビや古い新聞を目立たせたいのであれば、周りに液晶ディスプレイを複数置くことで「古さ」を目立たせるといった手法だ。

相対する性質をおなじ空間に置くことで、少数派を目立たせることが出来る。これはデザインにおける色相環の概念とも通ずるところだと思う。

プラットフォームの錆

時間の重みを想起させる錆たちは、曇天の光の中で鬱々として見えた。彩度が低い緑の中を走る茶色の錆は、金属としての誇りや工業化を支えてきたという自負を発しているように見えた。

空間的なコントラストの低さによる重みと、時間的な重みが組み合わさることで、どうしてか心が重くなる。その一方で、時代の変化で失われていったとされるコミュニティの連帯感や、工業立国としてのプライドに対する恋しい気持ちが浮かんできた。

後半へ続く




プラットフォームの錆