【コラム】ツイッターにおける暇人の「他人叩き」が生み出す地獄




もはや知らない人はほとんどいないであろうSNS、それがTwitterです。文字制限140字以内の文章と画像を投稿することができるツールですが、多くの人が使うようになったことで社会の歪みのようなものが生まれてきていると日々強く感じます。

今回は、Twitterをみていて非常に気になったことについて自分の考えをまとめておきたいと思いました。

偽の情報に踊らされないためには情報リテラシーが必須

当然、世の中にはいい人もいれば悪い人もいるし、知性がある人もいれば知性がない人もいます。そのため、流れてくる情報は偽の可能性もあるし、誰かが意図したものである可能性であると考えるのが良いのです。

しかし、世の中には情報リテラシーがあるひとだけではなく、流れてきた情報を鵜呑みにする人が多数派なので、間違った情報が拡散して炎上するといったことが頻繁に起きています。

「インターネットの発展によってマスメディア(テレビ・ラジオ・週刊誌など)による洗脳の時代は終わった」という言葉を耳にすることがありますが、その恩恵を情報リテラシーがない知性の低い人が受けることはまずありません。なぜならば、SNSは誰でも発信できるからこそ偽の情報かどうかを見極めることが必要だからです。

そもそも、Twitterの場合は自分と共通の趣味を持つ人や同じ思想を持つ人を選別してフォローするという使い方が一般的です。そのため、数字的に少数で極端な思想であったとしても、あたかもマジョリティであるかのような勘違いが発生します。これではマスメディアの洗脳と変わりません。

フィルターバブルを乗り越えられるか

インターネットによるSNSは、一方的に情報を送られるマスメディアとは違い、ひとりひとりが個別につながりを持つことができます。そのため、上記で書いたように自分と似たような趣味・思想を持った人とつながっていき、全く興味がない情報はみないという選択ができます。

この状態をフィルターバブルと言い、利用者が好ましいと思う情報だけしか見ることがなく、自分と敵対する意見や興味がない意見は利用者が見ることがないという状態になります。これによって何が起こるかというと、自分の意見が絶対だという思い込みや、他者の意見に対する共感の乏しさといったものにつながっていきます。

これが加速することによって、多様にものごとを見ることができなくなっていったり、違う思想を持つ人に対して攻撃的になっていきます。このフィルターバブルをいかに超えていくかということが大事なのですが、Twitterにおいては今の所打破の方法はわかりません。

例えばGoogleの検索エンジンの場合だと、Chromeに搭載の「シークレットモード」などを使うとCookie情報が読み取られないため、中立なレコメンドをしてもらうことができます。

「他人叩き」のエンターテイメント化

フィルターバブルによって他人への寛容さがなくなると、自分にとって異なる意見を持つ人に攻撃的になっていきます。それも要因となって、他人叩きがエンターテイメント化していくのです。この様子がまさに地獄のような様相を呈しています。

世の中には暇人が多いもので、違う意見があれば共感もせず流しておけばいいのに、わざわざ反論のリプを送って来る人がいます。その反論から何かが生まれれば良いのですが、ほとんどは生産的なものではなくただ「気に入らないから」という理由で個人を攻撃しているだけなのです。

特に出る杭は打たれる日本において、このような構造は生まれやすいと考えています。端的に言えば、フォロワーが多い人や何かしらでうまく行っている人を、生活に不満がある暇人や知性が低い人がこぞって叩き、謝罪させたり社会的地位を下げるということがもはやエンタメ化しているのです。

これをリアルの世界で考えてみると、怖くないでしょうか。例えば、社内の気に入らないやつが失言をするように誘導して、いざ失言をしたら録音したものを社内にばらまくというような「いじめ」にも近いようなことが公然と行われているのがTwitterなのです。

根拠もなく盲信するTwitterユーザ

しかも、Twitterの大抵のユーザは自分で裏を取るようなことをしません。やることと言えば、ただ感情的になってリツイートしたり、疑いがかかっている人を叩くだけなのです。これで一体何が生まれるのでしょうか。

一時期、高齢者の自動車事故が頻繁にメディアに取り上げられる時期がありました。これを受けて、Twitterでは「こんなに高齢者の事故が増えているんだから厳罰化を」というRTが回されていましたが、警察の統計資料を見ると高齢者の事故は年々減ってきているのです。

【資料】令和元年上半期における交通死亡事故の発生状況(警視庁交通局)

このような統計を自分で確認することもなく、ただメディアでの報道が多いからという理由で高齢者の事故が増えていると勘違いする人は多いのです。

なんでもかんでも「厳罰化」

また、なにか事件が起きたときに必ず発生するのが「厳罰化」ということを連呼する連中です。僕もそうですが、ほとんどが法律の専門家ではありません。もちろん、前例も勉強していないし法律の基本的な概念を知っている人もほとんどいなさそうです(これは感覚です)。

どうしてそのような法律があるのか、これまで同じような事件でなぜ懲役10年になったのか、という詳細も理解しないまま、口に出すのは「厳罰化」「厳罰化」です。あさましいにもほどがあるし、そもそも事件の経緯や詳細についても知らないだろうと思われる人が大半なのです。

そして、非常によく感じるのが「他人の失敗」や「社会的に正しくないこと」に対する不寛容さです。もちろん、法律に背くような正しくないことはしてはいけませんが、人間である以上正しくないことをしてしまう可能性があります。赤信号を無視したことがない人はどのくらいいるのでしょうか?

社会的に正しくないことは、当然起こらないようにしなければいけませんが、そういった思いよりも個人的な私怨やストレス解消で叩いている人が多いのがまさに地獄のような様子になっています。社会的正しさを守ることだけを追求した先にあるのは、まさに家畜のような人生を送る掃き溜めのような国家ではないでしょうか。

ルールを破れと言っているわけではありませんが、そもそもルールは絶対的存在がつくったわけではなく、人間という不完全な存在が(僕も含めて)つくったものです。そんな不完全な存在が作ったルールを何が何でも守らなければいけないんだという思い込みこそが、この世を生きづらくしていきます。

ルールを破った人を叩くだけではなく、「このルールはおかしくないか?このルールを変えなければ」という人がいればいいのですが、どうもTwitter上にはいないようです。

結論

Twitterを使うことは義務ではないので、もちろん使わないという選択肢もありえます。嫌なら使うな、と思う人もたくさんいるでしょう。しかし一方で、僕はマスメディアの一方的な情報発信に対抗するための、分散型情報ネットワークという可能性も感じているのです。

いまは使われ方が悪く、なにかとすぐに炎上しているためTwitterはあまり使わないようにしていますが、もっと良い使い方があれば頻度をあげようかと思います。

例えば、オフィシャルには発信されていない研究室の情報などを、教授や学生などの本人から拾える点などは非常に有用であると考えています。個人が制約なく細かい情報をすばやく発信できるのは、Twitterの優れている点であると思っています。

だからこそ、いまの地獄のような状態を変えるために、なにかコンピューターの力を使えないか模索中です。