【コラム】劣等感と怒りと後悔の連鎖の中に生きるということ




ふと, 自分が行動をする際のエネルギーはどのようなものから来ているかを考えてみたくなった.

そこで行き着いた先にあるのが, 劣等感と怒りと後悔という一見ネガティブに思われがちなもののようだった.

劣等感や怒りが生み出すエネルギー

先に断っておくと, 僕は自己肯定感が高くポジティブな人間だと思う. 27年間生きてきて大きな挫折を味わったこともないし, 「なんとかなるさ」でこれまで実際になんとかなってきた.

ただ, 自己肯定感が高い一方で, いわゆる「大衆」の一部にはなりたくないと常に思ってきていた. だからこそ, 学部を卒業してから就職をせずに旅に出たり, 仕事を辞めてワーキングホリデーに行くなど, 社会の一般的な常識(数年は続けて働いたほうが良いとか)を無視して自分の直感に従って生きてきた.

常に満たされない何かを感じていて, それは「社会に一流として認められていない自分」に対する憤りであったり, 「この人には全然勝てない」という強い劣等感だったりする.

大学でお世話になった先生も, 20代のときに同じようなことを思い苦しんでいたそうだ. 今となっては講演会を開いたりメディアに紹介されるなど, 有名になってはいるが, 実際に有名になってみるとかつてのエネルギーは無くなってしまったらしい.

つまり, 劣等感や社会への憤りというものは使い方によっては前に進むエネルギーとなる. しかし, そのエネルギーを自分のために使わずに, ただの愚痴としてSNSに書いたり, 上から目線で人に接したりすると成長はしないし, 人から煙たがられてしまう.

こういう人を指して「意識高い系」というらしいが, 確かに世の中にはそのような人が一定数いることが分かった.

そもそも, 成長が善である, という考え方は近代になってから強くなった考え方であり, 絶対ではないと思う. 近代以前の世界では, 世の中は積み重ねによって一方的に成長していくものではなく, ただ循環していくものであると考えられていた.

ただ, 僕は近代以降に生まれた人間であり, 成長に対して喜びを感じるので, ひとまず成長をするために劣等感を活用するという方向は間違っていないと思う. 強迫観念ではなく, 自身の喜びのための行動原理になっているからだ.

「周りに認められたい」という思いは誰もがあるものだが, それが強すぎても問題になる. 重要なのは, そのような渇望をいだきながらも, 結局は自分のためにやっているという部分を残しておくことだと思う.

ただ, 周りに認められたいだけだと, いざ達成したときに虚しくなるだけというのは先人が示してくれたからである.

仏陀は何でもあるがままに受け入れて, あらゆる欲を捨てることで涅槃に至ると説いたが, もはや涅槃とは遠い境地にいるなぁと思っている.

後悔の連鎖

あの人に追いつかなければ, と思うと当然「正しい努力」による「成長」が必要になってくる.

そのためには, 努力の「量」を確保して「質」を上げていくことが重要になってくる. 努力は「質」と「量」のどちらが重要か?という問いはよく聞くが, どちらも重要としか言いようがないと思う. ただ順番的には「量の確保」が「質の向上」につながるのではと考えている.

激しい劣等感をいだきながら何かをしようとすると, 後悔する機会が増えていく. よくあることだけど, 「また昼寝してしまった…」とか, 「気がついたらYoutubeを見ていた…」というそれのことである.

世間では「息抜きも大事」とよく言われているし, そのとおりであると思うが, ストイックな性格の持ち主は, そのような息抜きに罪悪感を感じてしまいがちだし, 実際に僕は毎日後悔している.

僕の会社は褒める文化ということもあって, ありがたいことによく褒められる. 社内MVPを取ったこともあるし, 初めて会う人からは「すごい人」のように言われることもある. ただそれでも, いつも劣等感にさいなまされている.

自分の理想像に関してだけは, 非常に意識が高いというか, 完璧主義な一面があるので, 褒められても常に自分にないものを見つけては後悔しているのだ.

そんな状況で, ついぐーたらしてしまったりすると, その時間を無駄にしてしまった後悔が常に襲ってくるようになっている.

行動はポジティブだが, 日々なにかに追われるように, そして費用対効果という合理的世界のロジックに巻き込まれながら生きている. しかし, そういった自分のストイックな面も正直好きだし, 充実感がないわけではない.

劣等感や後悔といったものは, やはりいい面も悪い面もあるのだと思う. ただ, これらはおそらく20代特有のものでもあるので, しばらくはこれらを抱えながら, 生き方に対する美学を満たすための燃料にしていこうと思っている.