【SNSは地獄?】日本のネガティブな空気に耐えられなくなってきた




最近苦しいです。SNSも休止しました。

いま、世界中で新型コロナウイルス「2019-nCoV」が話題となっていますが、流行の兆しを見せ始めた頃からのネガティブな雰囲気にとても耐えられなくなってきている自分がいます。

もともとツイッターなどのSNSが普及してから「1億総コメンテーター時代」が到来したと言われていました。

陰湿な傾向を持った日本人がインターネットとモバイル端末を手にした結果として生まれたのは、メディアがPVを稼ぐために政府批判の記事を書いて、それに対して大衆が怒りの書き込み・拡散をするという地獄絵図。

新型コロナウイルスが流行する前からもその構図はありましたが、特にそのネガティブ面が露出したのが最近であるように感じました。

目次

ストレス発散のための批判コメ

僕だって最近の日本政府には失望しているし、言いたいこともたくさんあります。しかし、それをSNSで一市民が批判したところで政治が変わるとは思わないし、その批判を見たフォロワーが決して幸せな気持ちにならないことも知っています。

本気で政治や社会を変えようと思うのであれば、SNSでグチグチ批判をせずに、何かしらの専門性を身に着けてテクノロジーで世の中を変えようと行動したり、政治活動に参加したり何かしらの行動を起こすでしょう。

SNSを見ている感じだと、何かを批判している人は自分で何かを良くしたいと考えているわけではなく、ただ自分の不都合や不満を誰かのせいにしてストレス発散したいだけのように思います。

もしくは、コメントを書くことで自分をあたかもすごい人かのように自己暗示している面もあるのかもしれません。「評価」するというのは、基本的に上位者から下位者に対して行うことですからね。

本気で世の中を変えたくてなにか行動なり努力なりをしている人の批判コメントであれば別ですが、ただ誰かのせいにしてグチグチ文句を言っている人のコメントにどれだけの価値があるのでしょうか。

確かに日本の政治は、既得権益・責任逃れ・自己中心・意思決定の遅さなど害悪な面が多いのですが、それに関する批判をSNSでひたすら垂れ流すという行為も害悪であると思うのです。

「言霊」という言葉があるように、声に出したり視覚的にテキストを見ることで、自分の世界の認識も変わってきます。みんな政治家が腐っていたり、子供を育てにくい国になっていたり、日本人が自己中心的になっていることは認識しています。

ただ、それをテキストにしてSNSで拡散することによって、ネガティブな空気に拍車をかけることになる負のスパイラルにつながると思うのです。

自分は非専門家であるという謙虚さが無い人たち

また、非専門家であるということを前提にした発言であれば良いのですが、まるで自分は何でも知っているかのようにmニュースを論評している人も非常によく見ます。

例えば、新型コロナウイルスから在中邦人を救うためにチャーター機で羽田に帰還させたが、隔離をせずに家に戻してしまったというニュース。

確かに、感染の疑いをある人は隔離して検査をすることが良かった場面ではあると思います。しかし、そこで「政治家は頭が狂ってるのか?」という批判は検討違いです。

日本は法治国家なので、意思決定をする際の優先順位はいち政治家の判断よりも、法律のほうが強いのです。むしろ、法律をつくり国民に守らせるべき政治家が、法律を破って市民の身柄を拘束するということのほうが問題になるのです。

今回批判すべきことは政治家の意思決定ではなく、感染症などのイレギュラーが発生した場合に柔軟な対応を出来るよう法律を整備してなかったという点にあるのではないでしょうか。

政治家や法律に問題があることは違いないのですが、法治国家という概念を理解できずにただ批判をしている人にも問題があるように思います。そのようなコメントは批判が的外れなので、何も生まないですし、ただ人の怒りを増幅するだけです。

どの世の中だって課題だらけだし政治は腐っている

経済が停滞しているせいで生活が苦しいのは分かります(僕も苦しい)。政治家が保身マンだらけのクソばかりなのも分かるし、労働環境が悪いのも分かるし、育児がしにくいというのも大変苦しいことだと思います。

一方で、僕らは戦争に駆り出されて、いつ死ぬかも分からないような不安を抱くことはないし、飢え死ぬことはまずなし、洋服は着れています。

また、バックパッカーをしているといかに日本人が信用されているかが分かります。具体的に言うと、ビザなしでも入国ができる国が非常に多く、ドバイなどでは日本人だというと入国審査を優先してくれたりします。

これは団塊の世代を中心した世代がモーレツに働いて経済力を伸ばしたからであり、僕らはその恩恵を受けているという一面があります。

「失われた20年」とは言いますが、言い換えれば僕らはバブルの「貯金」によってなんとかやっているとも言えるのではないでしょうか。

また、僕は4ヶ月ドイツに住んでいましたが「人種差別かな?」と思うこともありました。ごみ処理の仕事をしている人は特定の人種が多かったり、そういう場面です。

結局、世界を見渡してもユートピアなんて無いと思うし、どの時代にだって課題は存在します。確かに日本社会はブラック企業ばかりで、賃金安くて、保育所は不足していて、政治は腐っていて…と課題も山積みです。

しかし、戦争がなく安い医療を受けられるので寿命までに死ぬ危険が低いですし、経済成長がないまでもバブルの貯金によって飽食状態になっていることなど、先人が積み重ねてきた恩恵も受けているのです。

これは、戦争をなくそうと努力をしてきた人たち、ブラック企業と呼ぶのが生ぬるいくらいの過酷な戦後環境で猛烈に働いていた人たち、そういった人たちを忘れては行けないと思うのです。

確かに現代には課題がたくさんあります。しかし、そこに目を向けるのであればただの人任せな批判ではなく、改善案や提案をいうのがコミュニティとして健全だと思うし、過去に目を向けるのであれば悪い面だけではなく先人の恩恵にも目を向けるべきだと思うのです。

文句を言う前に動けるような人になりたい

世の中、あまりに人任せな人が多いなと感じています。批判を言うだけいって、自分は何もしないという人には成りたくないと日々思っています。

僕自身も社会人としてはまだ駆け出しから中堅の間くらいですし、出来ることが少ないです。政治はルールをつくるものなので、たしかに影響力は大きいです。

しかし一方で、素晴らしいルールをつくったからといって、身の回りのすべてが解決する魔法の杖ではないということも認識するべきだと思うのです。

いちばん重要なのは、自分の身の回りのコミュニティや関わりに対して自分が何をできるかを考えることではないかと思うのです。その視点で考えると、ツイッターで延々と文句を垂れ流すという行為がどのような影響をもたらすかについても思考が回るのではないでしょうか。

僕もさまざまなニュースを見る中で感じることはありますが、文句をいうよりも先に努力や行動。それを大事にしていきたいと感じるこの頃です。