近代のはじまり、おおよそ15〜16世紀には科学と資本主義が結びつくことで、世界は大きく変わっていきました。その原因の一つは「成長」という概念がこの2つの結びつきによって生まれたということです。
今でこそ「成長」する、つまり日々の積み重ねによって昨日よりも今日が、今日よりも明日のほうがいい状態になっているという考え方は当たり前です。
しかしながら、近代以前の世界では「成長」という積み重ね的な考え方は一般的ではありませんでした。では、この「成長」という概念が浸透していったことで、一体何が変わったのでしょうか?
「成長」の概念が生み出したもの
成長という概念が浸透すると、未来に対する信頼が生まれます。
つまり、人は成長するものである、会社は成長していくものである、明日は今日よりも財が増えているのである、ということを信じることによって、今お金を持っていなくても未来で生まれるであろう罪に期待してお金を貸すことが出来るようになります。
これを我々は「投資」と呼んでいます。
もし、成長という概念が浸透して居なかった場合は、未来において財が増えているということを信用することができません。そのため、実際に現金や金などの資産を持っている人しか新規事業を生むことが出来ず、新しい挑戦というのが制限されていました。
科学というのは、「我々は根本的に世界に対して無知である」というところからスタートして、ひとつひとつ知識を積み重ねていった上に成り立ってきたものです。これはまさに「成長」という概念と非常に似ているのです。
近代以前では、需要があって絶対に商売がうまくいくと分かっていても、創業に必要な資金を集めるのが困難だったので、人類は近代以降のように飛躍的な発展を遂げることが出来ませんでした。
しかし、近代以降は成長という概念が浸透したことで、テコの原理のように、今投資をすることで未来に大きくリターンを得る、ということが可能になったのです。
「成長」は善なのか
一方で、我々は「成長」という概念に苦しめられることも多いです。例えば
- 部下がなかなか成長しない
- 会社が成長しない
- 成長しないやつはクズだ
と言ったように、成長することは善であり、人間らしさであるという考え方にもなりがちです。前にも書いたように、近代以前では世界は積み重ねによる成長ではなく、螺旋階段のように循環することで世界が成り立っていると考えられてきました。
歴史の大部分を紐解いてみると、むしろ成長という概念を信じている期間のほうが圧倒的に短いのです。現代社会に生きていると、生きている以上は成長しなければいけないという強迫観念を感じます。
しかしながら、それは近代以降に生まれたものであり、ひとつのイデオロギーに過ぎないと気がつくことが大事であると思います。