【コラム】ユビキタスコンピューティングとアニミズム思想の共通性




パロアルト研究所のマーク・ワイザーが唱えた「ユビキタス・コンピューティング」は求心力を失うこと無く、現在のコンピューター技術はユビキタス化へ向けて進化を進めています。

その際たる例が、スマホやスマートグラスの研究開発でしょう。これらのデバイスは、人間の生活にコンピュータを溶け込ませる方向へと進化しています。

このコンピュータのユビキタス化が面白い点のひとつとして、アニミズム思想と似た点を持つという点があると思います。

ユビキタスコンピューティングとは

そもそも、ユビキタスコンピューティングとはなんでしょうか。日本語に訳すと「(神のごとく)偏在するコンピュータ」となります。コンピュータの汎神化とも言えるかもしれません。

このユビキタスコンピューティングという考え方は、20世紀末に提唱された考え方ですが、コンピュータデバイスの小型化(スマホなど)やIoTデバイスの開発という方向で現在も引き継がれています。

ここで勘違いされやすいのは、スマホが世界に普及してそれがインターネットにつながっていることが、ユビキタスコンピューティングであるという考えである、というものです。これは間違いです。

マーク・ワイザーのいうユビキタスコンピューティングとは、ただインターネットデバイスが普及するだけではなく、デバイスが生活環境に溶け込み、デバイスやインターネットの利用を意識しなくなるという状態を指します。

そのため、新しい言い方として「カーム・テクノロジー(穏やかな技術)」というものが出現しました。

すなわち、普段メガネを掛けている人がメガネを意識することなく無意識に利用しているような状態でコンピュータを使えるようにする、ということを提唱しました。

それで言うと、現在のスマホはかなり小型化されたものの、ポケットから取り出す動作が必要だったり、質量がそこそこあるので、存在を意識しながら使わざるを得ないという点でまだ進化の途中にあるといえます。

ユビキタスとアニミズム

ユビキタスとは汎神化とも言えると書きました。そして、それはまさにアニミズム思想と同じという点が面白いと思います。

ヨーロッパではじまったルネサンス以降、世界は西洋的世界観、つまり一神教・科学・国民国家・資本主義という思想が支配するようになりました。

一方で、コンピューター・テクノロジーはアニミズム的世界観の方向に進み始めています。それは、ブロックチェーンやインターネット接続機器の普及がその一助にもなっているでしょう。

人間とコンピュータは比較して考えられることが多いですが、「人間にしか出来ないこと」「人間もコンピュータもできること」「コンピュータにしかできないこと」というパターンがあることは自明でしょう。

それは特に最近のAIブームで顕著に現れるようになってきました。例えば、街頭カメラの映像を取得して通行したすべての人物の顔を画像認識技術で記録するということは、人間の処理能力では行うことが出来ません。

コンピューターは電源にさえつながっていれば、寝る必要も食事を摂る必要もないので24時間フル稼働でも、安定したパフォーマンスを出すことができるというメリットがあるからです。

すなわち、コンピュータが「ただのツール」である時代はとっくに終わっており、人間が出来ないことをも実現しうる存在となりつつあるのです。人はそのような存在を「神」や「自然」と言います。

コンピューターがあらゆるところに偏在し、それが意識されずに生活環境や自然環境に溶け込むということは、アニミズム的世界観、つまり神のような存在が自然環境のあらゆる場所にいるということと重なります。

アニミズムに見出す希望

科学的パラダイムというのは、主観と客観の分離が最も重要なポイントです。自然とは客観的であり、計数的であるということを前提にすることで、さまざまな技術を進化させてきました。

一方で、主観と客観を分離させたことの帰結として、人間が神秘的で偉大なる自然の中の一部であるという感覚がほとんど失われてしまいました。

現在の科学的パラダイムにおける「自然」とは、計測できるものであり、人間がコントロールできるものであり、ただの「モノ」であるという認識になってしまったのです。

「自然」とはその原理を解明できるものであり、人間が支配できるものであるという考え方がある以上、「自然」に対して神性を感じ、自身をその一部として位置づけることで所属する幸福感を味わうことが難しい状況になってきたのです。

僕は、コンピューターが自然化することによって、この人間と自然につくられてしまった心理的距離を戻すキッカケになるのかもしれないと思っています。

コンピューターが自然化するというのは、人間がコントロールできるツールとしてではなく、「なぜかよくわからないけど動くもの」として生活に溶け込むということを指します。

なぜかよくわからないけど動くもの、はまさに自然のことを指しており、赤ちゃんをはじめとしたすべての生命に対して当てはまるものです。

世の中には人間が理解可能なデジタル知(=言語的な知)だけではなく、理解できないアナログ知(=非言語的な知)もあることを受け入れていくことで、自然との一体感による幸福を手に入れられるのかもしれません。