【コラム】Rhizomatiks演出のインスタレーション「Coded Field」を見て感じたこと




東京都が主催、Rhizomatiks(ライゾマティクス)が演出したサウンドインスタレーション「Coded Field」を見に行ってきました。(公式ページはこちら)

この記事では、その際に感じたことや考えたことを書いていきます。

目次

イベント概要

イベント当日の増上寺
イベント概要

Light and Sound Installation ”Coded Field”
〜光と音が織りなす都市と人々の饗宴〜

  • 開催日時:2019年11月16日(土)18:00〜21:00
  • 開催場所:浄土宗大本山増上寺、港区立芝公園、東京都立芝公園
  • 料金:無料、要事前申込(抽選制)

上記のように、東京タワーがある芝公園と増上寺を用いたインスタレーションです。「寺」でやるというのが旧と新の融合を感じて良いですね。

参加者は受付時に大きなバルーンを渡されます。このバルーンは長さ30cmくらいの棒につながれていて手を話しても飛んでいかないようになっています。

質量が結構あったので、中には電池や通信端末が入っているものと思われます。このバルーンがインスタレーション中にさまざまな色で光ることになります。

音楽が流れつつ、真っ白な巫女のような服を着たダンサーが踊りながら本殿に向けて歩いてきます。ダンサーの服の中にはライトが隠されており(光るリストバンドのような)付いたり消えたりを繰り返しています。

身体のうごきは美しい

今回のインスタレーションで一番印象的だったのは、ダンサーの体の動きや袖・裾・髪の毛が風ではためく姿でした。

インスタレーションでは、風船がぴかぴかと光るテクノロジーによる演出がされていたわけですが、そのようなデジタル的演出だけではなくダンサーの人間的な動きも融合されていました。

僕はダンスは全くと言っていいほど、これまでの人生で関わったことがなくド素人の中のド素人です。そんな自分でも分かるくらいにダンサーの動きは洗練されていました。

緩急つけた動きや、直線的だったり曲線的な動き、そして不規則に見えるランダムな体の動きが見ていて美しいと思えるようなものでした。

ダンサーの動きを見ると、あらためて人間の身体の複雑さを感じます。そのアナログとも言える動きとデジタルな表現が合わさることで、それぞれの良さが互いに引き立てられるような表現だったなあと思いました。

また、長い袖や髪の毛が風になびくすがたは、とても霊性を感じる神々しいものでした。一般的な洋服は、風が吹いてもなびくような部位がなくタイトにつくられています。

一方で和服や巫女服など日本古来の服は生地が余分に使われており、風が吹いたり体を動かすとそれに呼応して動きます。この体や周辺の環境(つまり自然)と呼応して揺れるという姿が、神が通りがかったごとくアニミズム的に感じました。

また、ダンスを見て考えさせられたのは、都市にいると体の使い方がおかしくなるのでは?ということです。

都市にはエスカレーターやエレベーターなど便利なもので溢れかえっているし、道は平らに整備されて均一の硬さになっているので、体を上手に使わなくても歩くことができます。

便利は便利でいいのですが、あまりに便利すぎて身体性が失われることで、頭でっかちになってしまいバランスが崩れたのが様々なところで表出しているのではないか。そのようなことを考えさせられました。

写真や動画を撮る人で溢れていた会場

一方でこちらは、演出側ではなく、観客側についての感想になります。会場で演出がはじまると、多くの人が必死に移動しながら演出を撮影しようとしていました。僕はこの様子をみて気持ち悪さを感じました。

きっと彼らはTwitterやinstagramに投稿して承認欲求を満たしたり、自分の記録用に残したいのだと思いますが、目の前の作品をしっかりと見ずに撮影に必死になっている様子に虚しさを感じたのです。

価値観は人それぞれなので仕方ないとは思うのですが、アート作品・エンタメ作品はさまざまな工夫や思想が練り込まれているはずで、そんな撮影に必死にならずに、ちゃんと作品をじっくり見ようよ…と思ったのです。

何でもかんでも必死に撮影してSNSに投稿するというのは、世の中としてどこか狂ってはいませんかね。インスタに群がる蝿にたかられて、一瞬で消費されてしまう作品がかわいそうに思えました。

それと同時に、インターネットでいつでもつながれる現代において「わざわざ」物理的に移動して同じ空間に人が集まっているにもかかわらず、ひとりひとりはスマホを通してここにいない誰かとコミュニケーションしているという違和感もありました。

まるで誰かと遊んでいるときにずっとスマホを見ながら話されている気分です。隣にいる人は赤の他人でしょ、と言われれば黙るしか無いのですが、会場の一体感というものは撮影禁止のライブなどでないと得にくい時代になったのかなぁと思いました。

エンタメですし楽しみ方は人それぞれなので強要はできません。だから、ここにこうして書き込むことくらいしか出来ないのです。

とはいえ、せっかくパフォーマンスを集中して見ているのに、シャッター音が聞こえたりカメラをもって周りをウロウロされるのは残念でした。無料イベントだと見る側も相応なのかな、と思ったイベントでした。