今回は, 普段考えている「目線の高さ」と「手元の技術」について書いていこうと思います.
エンジニアの世界では, 技術が本当に好きで技術にしか興味がない人が一定数いるようだ. スペシャリストとしてなにかに秀でたところがあるのは大変素晴らしいことだと思う.
ただ, 一方で自分の技術をどのように使えば社会にいい影響を生むかとか, 目線を高くして自分の行っていることや作っていることを俯瞰的に見ることも重要だと思う.
俯瞰的に物事を見て, それを口に出して実行するのは, 会社の中で言うと「経営」や「役員」と言った人たちがやることだ.
だから, 若手社員などが目の前の仕事をしっかりと行いつつ, 高い目線で自分や会社を俯瞰することが出来ると, それだけでプラスに評価される傾向があると思う.
一方で, ただ高い目線で物事を見るのは, 実はそこまで難しくない. つまり, 社会の時事や教養をそれなりに勉強すれば, 目の前の仕事や会社が行っていることを, どのような意味があるのか解釈することはある程度できるということだ.
確かに高い目線で物事を考えられる若手は貴重だと経営者は考えるかも知れないし, 僕自身もそう思う. けれども, ただ高い目線で物事を見れるだけでは駄目で, 下手するとただの社会批評家になりかねないと自戒も込めていつも考えている.
じゃあどうすればいいの?というと, それがタイトルにもあるように, 手元の技術/スキルを身につけるということになる.
「やりたい」と「やれる」, 言い換えると「志がある」と「実行できる」には大きな差があって, いくら素晴らしいビジョンを描いたとしても, 実際にそれを形に落とし込めないと絵に描いた餅になってしまう.
もちろん, 「志がある」起業家が「実行できる」エンジニアを雇うことでうまく回っている例もあると思う. ただ, この両者の間には視点の違いが生まれがちになってしまうだろうし, 人材としての希少価値という点でいうと, 特別高いとは言えないのではないかと思う.
落合陽一さんはこの点で見ても, 信じられないほどにこれらを両立しているし, 現代のダヴィンチという言葉はまったく言い過ぎではないと個人的には思っている.
結局のところ, 社会とか芸術とか, さまざまな教養に則って, 高い目線で物事を考えるのも非常に重要だが, そこで終わらないで, 実際に手元で動かせるというスキルの修行も重要であると言う話.
「俺は素晴らしいITサービスをつくって世界を変えるんだ!」といっても, コードの一行も書けないようじゃ何も出来ない.エンジニアを雇うにしてもコードが書けない人が自分たちを正しく評価できるのか, というエンジニアからの疑念は常につきまといます.
ビジョンを描けて, かつ自分でそれを実装できる人は本当にすごいし希少だなぁと思います. 僕は勉強が好きなので, つい批評家になりがちな一面があるので, 自分への戒めとしてまとめてみました.
教養を備えて高い目線で物事を考えつつ, 実装できる高いスキルを持ってプロジェクトなどにコミットメントできる人は, 本当にすごいなといつも思っている限りです.