人を愛することと、人に愛されるのはどちらが幸せでしょうか?もちろん愛されつつ愛することができればベストですが、もしどちらか片方だけだという場合は、どちらを優先すべきなのか。結論から言えば、僕は「愛する」方が幸せだと考えています。
目次
愛するほうが幸せだと思う理由
ここから、愛するほうが幸せだと言える理由について書いていきます。
「愛される」は相手に依存してしまい不安定だから
まず前提として、他の人を変えることはできません。手間を掛け、長い時間をかければ少しは変えられるかもしれません。でも、野菜が嫌いな人を野菜好きにすることは難しいし、ネガティブ思考の人をポジティブ思考にすることは難しいのです。
他人は変えられないという前提で考えると、「愛される」という状態は相手に依存するので大変よろしくありません。自分がコントロールできない相手の変化によって、愛される状態を失ってしまうこともあるのです。
しかしながら、愛するというのは自分自身の気持ちなのである程度コントロールすることができます。それこそ、例え相手に嫌われたとしても愛することは出来るし、自分の子供や肉親ならば多少関係がこじれたくらいで愛を失うことはないでしょう。
つまり、相手から愛されることを求めすぎてしまう(=期待してしまう)というのは、自分でコントロールできない要素が大部分になってしまうため不安定で辛いものなのです。
自分の夢や目標を「託す」ことが出来るようになるから
誰しも「このように生きたいな」「このような夢を叶えたいな」と思うものがあると思います。しかし、全員の夢が叶うかと言うと実際はそうではない。生きていると諦めなければいけない状況に何度も出くわします。
そういった状況に陥ったとき子供をはじめとした「愛する人」がいると、諦めるのではなくその人に「託す」ことが出来るようになるのです。自分はできないけど、その人がやりたいことを出来るように支援すること。それは諦めるというネガティブなニュアンスではなく、託すというポジティブなニュアンスに変換できるのです。
愛されることで満たされている人は、これができません。つまり、自分の夢や目標が叶わないと分かった時にただ諦めるしか無いのです。
信頼されやすくなるから
また、人を愛するということは人に何かを与えるということでもあります。例えば、後輩にご飯を奢るとか奥さんにプレゼンとを送るとかそのようなことにつながるでしょう。
そうすると、その人は信頼されます。誰かのためを思って何かを与える人というのは信頼されるものです。一方で、もらうことばっかり考えている「愛されたい」タイプの人は、中身に相当魅力がない限りはいつか愛想をつかされます。自分のことしか考えないと思われてしまうからです。
このように、人を愛し与えることが出来る人は周りの信頼を得ることが出来るので、愛することによって周りの人から愛されることにつながっていくのです。
自分の死後の世界との連帯感がわくから
人は誰も死を迎えます。死を直前にしたときに思うのは「自分が生きてきた意味はなんだったのだろう」ということであると僕は確信しています。
それを考えると、果たして自分が愛した人に何をしてあげられたのか、これからの世界に何を残すことができたのだろうかということはとても重要です。そのため、人を愛することで満たされてきた人は、人に何かを与えることで満たされてきたということですから、自分が生きてきたことに対して満足や達成感のようなものを抱きやすいのではないでしょうか。
一方で、人に愛されながら生きてきた人は「何を残せたのか」という点で考えると少し答えに困ってしまうかもしれません。愛されるというのは受け取る側だからです。
愛すると愛される、どちらも重要だけど「愛したい」
小さい時から誰かに愛されるというのは、非常に重要です。人から愛されないと自己肯定感が低く、とてもつらい人生を送ることになってしまうからです。
愛すると愛される、どちらも人間にとって大事なのは言うまでもありません。本来はどちらもあるべきなのです。とはいえ、ある程度成長して大きくなって愛されることばかりを追い求めてしまうのは、少し違うのではないかということをこの記事では言いたかったのです。
愛されることばかりを求めてしまうと、逆に愛されにくくなってしまうということもあるし、与える喜びを知らないというのはつらいものです。
どちらも大事なんだけれども、人に与えることで幸福感を得るというのは前にも述べたとおり自分が中心となる動作なので安定もしているのです。
自分を愛してくれる人を見つけられれば幸せですが、愛せる人を見つけることも重要だなあと思った次第です。