【写真】紙とディスプレイの決定的な違いとは




デジタルカメラやディスプレイモニターが普及する以前、写真は紙に印刷して鑑賞するのが当たり前でした。最近では意図的にディスプレイを使用する人も増えてきましたが、それでも紙やパネルに印刷して展示するのがいまだ主流です。

しかし、いま僕が一つの過渡期を迎えているように感じているのはディスプレイというメディア装置が普及したことによって表現の幅が広がったからです。今後大事になっていくのは、紙とディスプレイにはどのような違いがあり、どのように使い分けていけば良いのかを考えることではないでしょうか。

今回の記事では紙に印刷した場合の写真作品と、ディスプレイで表示した場合の写真作品の違いについて考察していきたいと思います。

目次

紙の写真作品は、紙というメディアそのものが作品性を持つ

紙に印刷して写真を見たときと、ディスプレイやスマホで写真を見たときを想像すると「ディスプレイはどこか軽くて不安定な印象がある」と感じませんか?

この理由について僕なりに考えてみた結論としては、「紙の写真作品は紙という質感あるもの自体を含めて作品だと認識するのに対して、ディスプレイの写真作品はディスプレイ自体を作品として意識しない」という違いがあるからではないかと思うのです。

どういう事かというと、紙の写真は「メディア(紙)+コンテンツ(写真)」を作品と感じるのに対して、ディスプレイの写真は「コンテンツ(写真)」だけを作品と感じるので、作品としての重みや情報量が少なくなってしまうのです。

また、紙に印刷した場合はコンテンツを差し替えることがほぼ不可能です。しかし、ディスプレイでは表示するコンテンツの切り替えが出来るということも、ディスプレイの不安定感の要因になっているように思います。

メディアにコンテンツを乗せるという行為が不可逆である紙には安定感のようなものを感じ、可逆であるディスプレイには流動的で作品としての不安定さを感じるのです。

これは大きな違いだと思っていて、作品をじっくりと見てほしいというときには紙を利用するほうがいい結果が得られるだろうし、次々と情報が捨てられるいまの社会の流動性を表したいのであればディスプレイを利用するほうがいい結果が得られるでしょう。

つまり、紙に印刷した場合はその不可逆性から作品としての安定感や質量を感じる一方、ディスプレイで写真を表示した場合はその可逆性から流動感を感じるという違いがあるのです。

多感覚的な「紙」と視覚的な「ディスプレイ」

また、紙には物理的存在としての質量が存在します。それだけではなく、手触りや匂いを感じることも出来る。つまり、視覚以外も利用して作品を感じることが出来るのです。

一方でディスプレイを触ってみたり匂いを感じるということはあまり行いません。これは感覚的に僕らが紙を自然物(=ナチュラルなもの)と感じ、ディスプレイを機械的(=人工的)だと感じていることに起因しているように思います。

ディスプレイに表示された写真をどこかヴァーチャルなものとして感じる理由はここにもあると思っています。つまり、僕らは物理的に存在するものに対して五感で感じるとることが出来ますが、デジタル空間にあるものを五感で感じることは出来ません。

デジタル空間のものを感じるには、ディスプレイに表示させることで視覚的に認知させたり、スピーカーから音を出すことで聴覚的に認知させたり、コンピューターで何かを制御することで触覚を生み出したりする必要があります。

もちろん、音で楽しむディスプレイ写真やインタラクティブ性を備えたディスプレイも無いわけではありませんが、それは写真作品の一部ではなくメディア装置として独立したものとして認識されるように思います。

より人間の心をとらえるのはどちらかと考えると、やはり多感覚的な紙の写真に軍配があがると思うのです。なぜなら五感を複合的に使って作品を見たほうが、強い印象が残るからです。

紙の写真は不均一な光で、ディスプレイの写真は均一な光で

紙の写真は、周辺の光が写真の表面を反射し僕らの網膜に届くことで鑑賞できます。紙自身は光を発しないので、環境が変われば見え方や色味が大きく変化します。時間によって揺らぐ不均一な作品だということも出来るでしょう。

一方で、ディスプレイは細かいピクセル一つ一つから光が均一に出てきます。ここにはブラウン管テレビのようなノイズがないので時間性が入り込む余地がなく、どこか静的で冷たい印象があるように思います。

上にも書いたとおり、紙の写真の場合は環境の変化による時間性を感じることが出来ます。これは大きな違いだと思っていて、時間方向にも広がりがある紙やブラウン管テレビは体感解像度が高くなります。

一方でディスプレイだと時間性を感じにくいため実質的に次元がひとつ下がることになり体感解像度が落ちるのです

紙の写真は風化する、ディスプレイの写真は風化しない

また、物理的存在としての紙写真は時間の経過で風化していきます。これは、ある意味作品自体が年老いていくと表現することも出来るでしょう。もちろん、ディスプレイも時間の経過で性能が落ちることはありますが、写真自体はデジタルなので劣化することがありません。

写真作品をつくる上では、この風化現象の有無を意識することが大切だと思っています。つまり、侘び寂び的な時間経過による美を表現したい場合は、紙のほうが適している、というわけです。

個人的には紙が好き

これまで紙とディスプレイの特徴を並べてきましたが、個人的には紙のほうが好きなのです。ただ、資源を大切にすべきこの時代ですから、常に罪悪感がつきまとってきます。

意図的にディスプレイを利用する作品も、今後作るかもしれませんが、やはり五感に訴えかけてくる上、保存性に優れている紙は良いものだなあといつも思っています。

ディスプレイではイマイチに見えていた写真が、印刷をすることでとても美しく見えたり、その逆もあるので紙とディスプレイの相転移は中々に奥深いものだなぁと普段から思っています。

ただどちらも使いこなせたほうが良いのは確かで、将来的には紙とディスプレイのハイブリッドな手法も出てくるのかなぁと踏んでいます。いずれにせよ、もっと良い写真を撮りたいなあと思っているこの最近です。