夏のはじまりの高彩度な風景に魅せられて




辞書によると「初夏」というのは5月から6月初旬までを指すそうだ。旧暦の4月を初夏、5月を仲夏、6月を晩夏と言うらしい。これを今の暦に変換すると旧暦の4月は今の5月初旬〜6月初旬になるそうです。

目次

高彩度な風景が記憶にある「夏」を想起させる

土手

さて、タイトルにあるように僕は夏の時期に見ることが出来る、高彩度で高コントラストな色彩の時期が好きです。その要因の一つとしては、比較的若い時(中学生くらい)からパソコンやスマホが身近なものになり、RGBによる高彩度なイメージに慣れているからかもしれません。

しかし、それ以外にもなにか理由があるのではないかと考えた時にひとつの仮説が出ました。それは、色彩の美しさもさることながら、その写真の情景から浮かんでくる日差しの強さや草の匂い、木が風に揺れる音などがリアルな感覚として感じられるからというものです。

夏は他の時期に比べて、光が非常に強く降り注いできます。体は全体がじわじわと熱くなり、日差しが直接当たる肌の部分はジリジリと独特な感覚になります。湿気が体にまとわりついて、風が吹けば生い茂った草木がサワサワと音を立てて振動します。

こういった自分の中にある五感としての「夏」を思い出すトリガーとして、夏独特の高彩度な色彩が機能しているのではないかということを感じました。高彩度な風景そのものも好きですが、高彩度な風景を見ることによって「ああ、今年も夏が来たんだなあ」と実感することが精神的な充足感の根源になっていそうです。

写真と鑑賞者の双方向性について

鉄塔と川

ここで面白いのは、写真を見たときに受け取る情報量(ここでは解像度と言います)は写真そのもの以上の情報量を持つという点です。どういうことかと言うと、確かに写真そのものにも色々なモノやヒトが情報として写っていますが、写真の撮影範囲外の景色やその場の風や温度、匂いなどの質感は鑑賞者の脳内でイメージとして存在するということです。

例えば、我々は夏といえばスイカ・浴衣・盆踊り・花火などを想起するので、夏の海の写真を見るとそのような夏と関連するものについても想像を巡らせます。しかし例えば夏がない海外の人が夏の海の写真を見た場合、バカンスのときの家族の様子や、地元のフェスティバルなど日本人とは違うものを想起するはずです。

当然といえば当然なのですが、写真というのはあくまでも鑑賞者の記憶や感覚を呼び起こすトリガーであると言うことが出来るのです。写真がトリガーとなって、その人の持つ記憶(夏といえばスイカを食べたなあとか)、美的感覚(美しいとか汚いとか)を呼び起こしているのです。

日本の夏とヨーロッパの夏の違い

初夏の雲

日本の夏は空気中に水蒸気が多いせいか、やや水色がかった淡い青によって空が描かれています。一方で、ヨーロッパの夏は乾燥しており高緯度だからか、より濃いパキッとした青が空に描かれます。僕はどちらの青も好きですが、ヨーロッパにいた際に「どこか日本の夏とは違うな」と思ったきっかけが空の色でした。

やはり一口に「夏」といっても場所によって、色彩のイメージはだいぶ変わるんだなと思った出来事です。国や地域の特徴を色彩で捉える・感じるというのは今後チャレンジしてみようと思っています。食事などによる文化比較は比較的分かりやすいですが、色彩という切り口で地域性を捉えるのも大変面白そうだと思うのです。

湿度による違いはかなり大きくて、ヨーロッパでは気温こそ暑いものの日陰に入ると湿度が低いので涼しくなります。また、音が大変によく響きます。カラッと残響がよく残る気候と言ったら良いのでしょうか。

そうすると、日本の夏に聞くオーケストラとヨーロッパの夏に聞くオーケストラには音の違いが出てきます。ヨーロッパで演奏をすると残響が残り輪郭がはっきりしているので本当に細やかな楽器の演奏ニュアンスが伝わってきます。

こういった肌感や音による夏のイメージの違いというのも、大変に面白いものです。

視覚で涼しさを感じるということ

水面

日本には伝統的に風鈴というものが存在します。風鈴の音を聞くと涼しい気持ちになると言いますが、よくよく考えると不思議です。物理的に考えると、空気の振動である音が涼しさをもたらすわけがないからです。

この聴覚がもたらす一種の錯覚のような現象は非常にオモシロイと思っていて、今後調べていこうと思っています。とりあえずアプリケーションということで考えてみると、僕は水が流れる音や水面の波動を見ることで涼しさを感じることがあります。

この例はわかりやすく、水=冷たいものというイメージが出来上がっているので水を連想する音や風景を見ることで、涼しさを感じ取るというメカニズムが働いていそうです。もう少し考えてみます。特に水がキレイに透き通っていると、より涼しく感じるような気がします。それは何故でしょうか?

ここで気がつくのは、夏において水は確かに冷たいものですが、体を冷やすだけではなく飲水としての用途もあるということです。つまり、茶色の泥が混じった水は温度で言えば冷たいのですが飲水としての機能を持たない上、浴びたいと思えないために透明な水よりも若干感覚的な温度が高めになります。

このような、人間がモノに対して感じる温度感は、五感を統合的に使った主観的なものであるのが面白いと最近思っています。写真の話に戻すと、写真は視覚にのみ訴えるツールですが、コンテンツに視覚以外の嗅覚や触覚を想起させる被写体や表現を含ませることで、写真を見るという体験がより豊かになるという可能性を秘めているのです。