【コラム】学習する上で大切にしたい「文」と「武」とはなにか




日本では少子化が進み、子供はますます大切になっていきます。そこで何よりも力を入れるべきは教育であると思っています。しかしながら、日本の教育は明治時代のころから変わっておらず、これだけ技術が発展したにも関わらず、いまだに前時代的な1対多の教育をしています。

これから、子供を育てていくにあたって重要になるのはどのようなことなのでしょうか?それを考察していきます。

教育とは型を覚えさせるもの

教育というのは、そもそも「型」を覚えさせるものです。「型」というのは言い換えると、「そういうものだと信じ込む」ということです。

例えば、6×9が54になるとか、物体の運動は運動方程式に従うとか、江戸時代という時代があったとか、そういったことを教えるのが学校で行われている教育です。

ここでは、すべて「そういうもの」として暗記をさせられます。これが「型」を覚えさせるという意味です。よく考えてみれば、本当に江戸時代はあるのでしょうか?

実はこの世界は自分が生まれた瞬間に誕生していて、歴史というものは神様が人間に記憶操作して植え付けたものかもしれません。ここまで極端でなくとも、遺跡の発見で歴史的事実と考えられてきたものが覆るということはよくありますし、実は学校で習うことはただの「そういうことになっている」ものでしかありません。

そして、型だけを教えていくことには大きなデメリットがあります。それは、型を覚えることで思考停止になってしまうということです。学校のテストでは「型」を覚えたかをチェックされるので、「そういうもん」だと思って暗記をすれば点数が取れるのです。

「本当に江戸幕府は存在したのか?なぜそう言えるのか?」という思考をせずに、「そういうもん」だと思考停止したほうが、労力をかけずに点数を取れるのです。いわゆる「詰め込み教育」と批判されている理由がここにあります。

一方で、フランスのバカロレア(=日本で言う東大)の試験では、必ず哲学について論述が必要になります。例えば、2019年に人文学部の入試で出された問題がこちらです。

  1. 時間から逃れることは可能か? (Est-il possible d’échapper au temps ?)
  2. 芸術作品を解釈することは何になるのか? (À quoi bon expliquer une œuvre d’art ?)
  3. ヘーゲル『法の哲学』(Principes de la philosophie du droit) からの抜粋の解説

このような問題は、本質的にものごとを問い、考える力を問われます。一方、日本のテストの場合は覚えさせられた「型」をどのように組み合わせれば問題を解けるかというパズル解きに重点が置かれています。答えが無い問題を解くという経験が不足しているのです。

脳が学習するとはどういうことか

脳が学習するとはどういうことでしょうか。それは、一言で言えばインプットに対して行う出力を最適化していくことであると言えます。

脳に対するインプットは人間の場合、5種類あります。視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚ですね。これらのインプットが脳に入ってくることで、我々は外界を認識します。

一方で脳からのアウトプットは人間の場合、1種類だけです。それは「筋肉の運動」です。声を出したり、手を振ったり、目をつぶったりというアウトプットはすべて筋肉によって引き起こされています。

さて、ではこれをもとに学習について考えてみます。赤ちゃんは親の言葉を聞くと、真似をします。ここでは、言葉を聞くということがインプット、真似をするというのがアウトプットですね。そうすると、正しい発音ができているかどうかが親からフィードバックされます。

例えば、正しく発音できていれば笑顔になり、間違っていたらもう一度発音する、ということです。赤ちゃんの脳はこのフィードバックを受け取って、「正解」を出せるように調整されていきます。これが学習と呼ばれるもので、脳内のニューロンがシナプスによって結合されていきます。

つまり、学習で重要なのはインプット(=感覚)とアウトプット(=運動)をぐるぐると回すことなのです。人は、色々なものを見たり、聞いたり、触ったり、舐めたり、匂いを嗅ぐことで世界のことを学習していきます。

美味しそうな見た目のものを食べたら、お腹を下した。だから、この見た目のものは食べてはいけないのだと、自分の体で学習をするのです。

このインプットとアウトプットのぐるぐるを、文武両道といいます。文とは感覚のインプット、武とは運動のアウトプットです。文とは勉強であり、武とは柔道や空手であると思いがちですが、文と武を分けることは本来ダメなのです。

都市は五感を殺す

世界のさまざまなものを、五感で感じることが重要だと書きました。そして、世界の都市は逆に五感を使うことを拒否しているのが問題です。

就職活動などで、高層ビルに入っているオフィスに行ったことはあるでしょうか。高層ビルの中は、まっ平らで材質が均一なコンクリート、常に同じ温度の空調、どこも同じ硬さの壁と、全く変化がありません。これでは、触る気にもならないし、感覚が死んでいきます。

感覚がイキイキとするのは、いい匂いのものを嗅いだときや、気持ちがいい音がしたときなど、「変化」が起きたときです。逆に、変化がない空間にずっといると、我々の感覚はつかわれず脳がサボっていきます。すると、感受性や周りの刺激に対する繊細さが失われてしまうのです。

僕はインドに行ったことがありますが、まさにこの状況の逆でした。道はボコボコで水たまりがあるし、動物の匂いはするし、クラクションはうるさい。普段東京に住んでいて使っていなかった五感がフルに活動していることをひしひしと感じました。

この経験によって、「道がボコボコだとこんなに歩きにくいのか」「インドの匂いはこんな感じか」といったことを、自分の体で学習することができました。「考えれば分かる」ことだとお思いかもしれませんが、ここで重要なことは自分の五感を使って確かめたかどうかということなのです。

教科書という、本当かどうかも分からないものを信じて「常識でしょ」と考えることが一番危険なのです。最も信頼できて、そして学びになるものは何よりも五感を通した経験です。

みずから積極的に五感を使うようにすることが重要

以上から言えることは、五感を積極的に使い、そしてアウトプットをすることが重要であるということです。つまり、キレイな花の写真を見て知ったつもりになるのではなく、実際にキレイな花を見つけて、匂いを嗅いでみたり、触ってみたり、食べてみたりということをするということです。

この「世界を五感で感じる感覚」というものは、幸福感をもたらしてくれるように思います(ただの個人的な意見です)。五感を閉ざして、脳内をこねくりまわしつづける人生が本当に楽しいのでしょうか?教科書で習った内容がすべてウソだった場合、どうするのでしょうか?

IT化が進んだことで、たくさんの情報が手に入るようになりました。しかし、それは偽物かもしれません。結局、われわれが生物である以上、一番大切なことは五感を使って学ぶことではないでしょうか。