世の中にはたくさんの常識、つまり「〜べき」がありますが、それを盲信しすぎると人生はキツくなっていきます。
何故かというと、「〜べき」という考え方は思考停止を起こし、さらに自分自身の本心を隠してしまうからです。
このことについて、具体的に考えていきたいと思います。
目次
「〜べき」は思考停止を起こす
例えば、以前は新卒は最低3年間がんばるべき!という風潮がありました。
すると新卒の人は、とりあえず3年間続けようと思います。
しかし、この3年間という長さにどのような根拠があるのでしょうか?恐らく、多くの人は知らないはず。
〜べきの背景にある隠れた前提は、常識になっているほど見落としがちになります。3年がんばってみてよかった!という人もいれば、そうでない人も必ずいる。それは何らかの前提が違うからです。
そして、いまは第二新卒という言葉が当たり前になり、3年を待たずにバンバン転職をする時代。
ものすごい早さで常識そのものが変化をする時代になっているんです。
つまり、自分の頭で考えずに一般常識を信じていると、あっという間に取り残されるということ。
そうすると、良くない結果につながるだけではなく、自分の意志で選択をしなかった後悔も生まれます。
周りの流れに乗っていれば上手くいくバブル期では無くなっているということです。
そこで大切にしたいことは、つねに選択をする際に「本当だろうか?」と問いかけること。
常識となっていることであっても、その前提をひたすら問うのです。これは哲学的な考え方にも似ています。
- 貯金をすることは、本当にいいことだろうか?
- 毎日遅刻をせずに出社することは、本当に大切だろうか?
- 与えられた仕事をすべてこなすのは、本当に大切だろうか?
「〜べき」は自分の本心を隠してしまう
そして、〜べきという考えは自分の本心を隠してしまいがちです。
例えば、やりたいことや夢を持つべきという風潮について考えてみましょう。
やりたいことに向かって努力する人は素晴らしい、夢を持つことは素晴らしい。そんな風潮がありますよね。
しかし世の中の大多数の人は、本気で情熱を注げるものをすぐに見つけられるわけではない。
大人になっても見つからずに、みんな悩んでいます。
すると、ちょっと好きなだけでも「自分にとって、これがやりたいことに違いない」と無理矢理言い聞かせる心理が働きます。
子どもの頃は、純粋にやりたいことをやっていたのに、大人になると頭でっかちになってしまうんです。
この状態が続くと、認知的不協和と呼ばれる状態にハマってしまいます。
本心はあまり好きではない、という事実が不快なので、その気持を無理やり自分の中に押し込もうとするのです。
大して面白くないものを続けてしまう結果どうなるか。人生の貴重な時間を無駄にしてしまいます。
実際には認知的不協和だけではなく、現状維持バイアスも掛かってしまうので、非常にやっかいです。
矛盾する認知が存在するとき、一方の認知を無理に変化させてしまうこと。
認知①:私はタバコを吸っている
認知②:タバコは体に有害だ
喫煙者にとって認知②は不快に感じるので、「長生きした喫煙者もいるし…」と認知②を捻じ曲げようとする。
損失を恐れて、大きな変化を避けようとするバイアス。
人間は利益による幸福よりも、損失による苦痛を大きく評価することが原因。
例えば、1万円を失う苦痛は、1万円を得る幸福を上回る。
常に考え続け、自分の直感に素直になる
結局、自分の人生を精一杯生きるとは、このことに尽きると思います。
自分が思考停止になって、判断を他人に委ねていないか。それを検証することがポイント。
周りの人の目や、常識、そういったものを一度疑ってみることこそが、
新しい一歩につながります。
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