インドをバックパッカーしたことを知人に話すと「人生観変わった?」とよく聞かれます。
インド旅で人生観が変わるかどうかは意見が真っ二つに分かれていて、
「ただの旅行だし人生観が変わるわけない!」という人がいれば、
「色々な経験を通して人生観が変わった」という人もいます。
そして、僕の答えは「人生観は変わらないけど、生き方の選択肢は広がるよ」です。今回はこのテーマについて具体的に考えていきたいと思います。
目次
人生観という言葉を具体的に考えてみる
まず、人生観という言葉ですが、すこし抽象的でフワっとしていますよね。なので具体的に意味を考えてみましょう。まずは、辞書的な意味から。
人間の生き方や生きることの意味に関する考え。人生の価値・目的・態度などについての考え。 「 -が変わる」
引用:Weblio辞書-人生観
人生観には大きく3つの意味があることがわかりました。
ここでは、人生で大切にしたいこと(人生の価値)・人生のミッション(人生の目的)・ライフスタイル(人生の態度)と定義します。
人生で大切にしたいこと(人生の価値)
これは自分の人生の時間を何に費やしたいのかということに相当します。
誰でも、自分が幸せを感じる瞬間があると思います。この自分が幸せを感じる時間を増やすということが、そのまま人生の価値につながります。
- 家族と一緒にいる時間
- ひとりで海辺でリラックスする時間
- 趣味に没頭する時間
人生で大切にしたいことは、旅をしたとしてもあまり変わらないはずです。
旅に出たとしても、大切な家族は大切な家族ですし、ゆったりと自分の時間を過ごしたいという人が、いきなりみんなでワイワイする人になることは考えにくいからです。
ただ、日本と違う環境に出て思わぬ自分の一面を発見することがあるかもしれません。例えば、自分は色々な景色を見ることにワクワクするんだ!と気付いたりですね。
人生のミッション(人生の目的)
これは、自分が人生でどのようなことを成し遂げたいかということに相当します。仕事もプライベートなことも両方含まれます。
- 自分の子どもが一人立ちするまで育てたい
- 貧しい人たちを救いたい
- 死ぬまでに全ての国を訪問したい
人生のミッションは、もしかしたら旅で変わるかもしれません。ミッションというのは、言い換えると自分がどのような問題を解決したいのか。
色々な国に行って各地で起きている問題を自分の目と耳で見聞きすることで、「これは自分が解決しなくてはいけない」という使命感が生まれることがよくあるそうです。
例えばキレイな水が無いとか、電力が足りずに人が困っているなどの課題ですね。
ライフスタイル(人生の態度)
これは、自分がどのように生活していくかに相当します。
- どこに住んで
- 誰と多くの時間を過ごして
- 何を仕事にしながら
- 何を楽しみにして生きていくか
旅によってライフスタイルの選択肢が広がり、ライフスタイルを変えようという決心をするキッカケになる可能性があります。
実際、インフラも不十分で過酷な気候のインドにも関わらず、日本よりも伸び伸びと自分らしく生活できるという理由で移住をしているひともたくさんいます。
インド旅は人生観を変えるよりも、広げる
上記の3つをもとに考えると、旅によって少しは人生観が変わるかもしれません。しかし、人生観が変わるというよりも人生の幅が広がるといった方が正しいです。
つまり「こんな生き方もあるんだ!」という気づきを得ることで、自分の中の選択肢が広がるのです。
世界には色々な考え方の文化がありますが、自分はどのような文化にいると居心地がいいかを、より広い選択肢で検討出来るのです。
僕がインド旅で気がついた例を紹介します。
インド人は何故時間に寛容なのか
「5分待って!」と言われて気がつけば30分以上待っていたということもしばしば。インドの人は時間をキッチリ守るという感覚がありません。
日本人からするとイライラしてしまったり、だらしない!と思ってしまいがちですが、それは大きな間違いです。時間に寛容な文化は、宗教が深く関わっていて我々とは違うロジックで動いているからです。
ヒンドゥー教徒にとって、時間は無限にある
インドの大多数を占めるヒンドゥー教。この宗教では輪廻転生が信じられています。輪廻転生とは、死んであの世に行った魂がまたこの世に戻ってきて何度でも生まれ変わるというものです。
つまりヒンドゥー教徒にとって、時間というものは無限に存在するものなのです。肉体の年齢には限界があるが、魂には無限に時間がある。
だから、無理に急いで生きる必要はなく、のんびりと生きればいいんです。
逆に日本人は時間は有限で貴重なものだと考えている。だから人の時間を奪うことは良くないことだし、単位時間あたりにどれだけ濃い人生を送れるかというコストパフォーマンス的な価値観の中で生活をしています。
どちらが良いか悪いかではなく、ただの「違い」です。
インド的な考え方の方が合ってると思えばインドに移住すればいいし、日本的な考え方のほうがしっくり来るのであれば、そのままいればいいんです。
気候の要因も、ひとの生活のあり方を変える
例えば南インドでは、一年を通して気候が安定しています。日本は四季があるので、四季に対応して作物を計画的に栽培しないと食べるものが無くなってしまうんですね。
一方、気候が安定していると同じものを安定して作ることが出来るので、計画的にきっちりと栽培をしていく必要は無いわけです。
インド北部はかなり厳しい気候なので、これには当てはまりませんが、タイやベトナムなどの東南アジアでは一年を通してフルーツなどが豊かに取れるので、計画的に考えなくても生きていけるという環境だったわけですね。
インド人はボッタクリをしてくるという間違い
インド人は相場がわからない日本人にぼったくりを仕掛けてくるという話を聞いたことはありませんか。
確かに、買い物や乗り物などで現地の人には言わないような高価格を言ってくることは当たり前のようにあります。しかし、インドにおいては「価格には定価が付いているのが当たり前」という考え方が間違いなのです。
そもそも価値というのは流動的で、現地の人にとっての100ルピーと外国人にとっての100ルピーは全然価値が違います。
何でも交渉をして値段を決めていくことは当たり前。だから、値切られる前提でボッタクリとも思える価格を言ってくるんです。
しかし、100ルピーと言っていたのに200ルピー請求されたとかは論外。これは徹底して戦わねばなりません。嘘を言ったりごまかしたりするのは、どの国でもアンフェアです。
一方で、100ルピーで買ったのに、現地の人は50ルピーで買ってた!というのはこちらの責任です。双方が納得したのであれば、ぼったくられた訳では無いんです。
この「定価がない」という文化に慣れるのは僕も大変でしたし、多くの日本人は苦労しているようです。ただ、こういう経験をすると様々な価値観に気がつくことができます。
「貧しい=不幸」の図式が成り立たない国
インドは基本的に貧しいです。一部の人間は桁違いにリッチだったりしますが、全体的に貧しい。
毎日食べることに困るような人も大勢いて、とても心を痛めました。しかし、単純にお金がないから不幸になるという図式が成り立たないのもインドです。
こちらでも書いていますが、お金やモノがない場合、周りの人とシェアをしたり貸し借りをして協力しながら生きていくことが必要不可欠になります。
当然、コミュニケーションを取っていかなければいけないので人と人の距離が近くなります。インドに行けばわかりますが、みんなめちゃめちゃ人懐っこいです。
確かに貧しさは辛いものですが、だからと言って人生が完全に不幸かというと、そうとも言い切れない部分があるように思います。
すごくこの話題は難しいです。もちろん、貧しくて不幸なひともたくさんいますし、未だに不可触民と言われて差別されている方がいることも知っています。
ただ、「貧しいことが不幸にそのまま直結するという訳ではない」ということは、今の日本人が学ぶべきポイントではないかと思っています。
おわりに
他の国を旅することは、きっとあなたの「こんな生き方もあるんだ!」という気づきを与えてくれるはずです。
路上で誰が買うのか分からない石を売っているおじいちゃんや、サングラスを毎日路上で売っているおにいちゃんなど、色々な人がいました。
インドは、国というより一つの大陸。「人の森」と呼ばれるインドに、一度は行かれてみては如何でしょうか?